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ゆずこんぶおいしい

アイドルのもつ一瞬の輝きと永遠の力について考えるblog

ナカイの窓のあっくんと、アイドルを消費することについて。

(これから書く内容、ブログをはじめた当初から言いたくて温めてました。古い話が多いですが、現在でも重なる部分があると思うので、当時を知らない方も良かったら読んでみてください。)

 

2015年秋、アラフォーに衝撃が走りました。

それは、五輪エンブレム使用中止でもなく、福山の結婚でもなく、、

そう、「ナカイの窓」にあっくん、佐藤アツヒロ氏が出演したこと。

 

あっくんは40代とは思えない、変わらない美貌で「あのハンサムは誰?」とネットをざわつかせました。「エラ呼吸」(うまく喋れないから)と揶揄された当時と同じ、前のめりでちょっと焦ったような喋り方。衰えてないどころか、上達してるローラースケートの技。

 

そして私があっくんを目にするのは実に20年ぶり。

 

さかのぼって1987年、中学2年生だった私は(こんなカッコ良くてかわいい人見たことない!)と、同い年のあっくんがTVに登場した時から夢中になりました。

旅行で神奈川県藤沢市を訪れた際には「ここがあっくんが住んでいる街♡」と想いにふけり、江ノ電に乗って海岸に座って海を見つめる、その傍らにはあっくんが....(昔から妄想激しい子どもだった) 

 

中学生にとって、都内から藤沢へはかなりの長旅でした。

しかしあっくんは、自宅のある藤沢から仕事のある都内まで毎日電車で通い、堀越高校に入学してからも案の定ファンで大パニックの中、通学を続けました。あっくん自宅の最寄り駅からファンが付いてきて1車両ほぼ貸し切り状態で中野の堀越まで毎日3年間。そんな過酷な高校時代を送っていたこと、私は知りませんでした。

 

なぜなら、私の光GENJI熱はアッというまに冷めたからです。1987年8月にデビューした光GENJI、私が購入したのは1989年2月に出た3枚目のアルバム「Hey! Say!」まで。シングルでいうと6枚目の「地球を探して」あたりからぼんやりとしか覚えてません。特に理由も無く、気が付いたら熱がすっかり冷めてました。メンバーが減ってグループの名前が変わって、結局1995年に光GENJIが解散するときには「光GENJIって、まだやってたんだー」って思うぐらい。

 

光GENJIが解散する数年前に私は大学に入学するのですが、よく顔を合わせる子の中に「あっくんファン」今の言葉でいうと「強火敦啓担」がいました。下敷きにあっくんの写真を何枚もはさみ、かばんにはあっくんのキーホルダーを付けた彼女の姿に、女子大生になった私はギョッとしました。私もあっくん好きだった、とは言い出せなかった。

 

ある日、そんなアツ担の彼女に、一人のリア充な可愛らしい女子大生が紙袋に入った荷物を渡してました。

「これね、あげるね」って可愛く言って渡した紙袋の中身は光GENJIの何本ものセルビデオやCDやグッズ。「わー、ありがとう」って受け取るアツ担。でも絶対アツ担の彼女はそれらのグッズを既に持ってたはず。

そのやり取りを近くで傍観してた私、無性にモヤモヤしたのを覚えてます。リア充女子大生に。

捨てるよりはましなのかもしれない、でも自分の思い出をアツ担へ勝手に押し付けて、自分はさっさと光GENJI卒業したみたいに見えて。

 

あれから20年以上たっても、その時の教室の情景と自分の気持ちを覚えています。

その後も度々そのことを思い返し、あの気持ちなんだったんだろう?と不思議に思ってたんですが、「ナカイの窓」を見てその正体が分かりました。

 

 

私、あっくんに対して罪悪感を抱いてたんですね。

 

いつか光GENJIを再結成する日の為にと、いまだローラースケートの練習を欠かさないあっくん。

 

あっくん、ごめん。

私があっくんをすっかり過去の人にしている間も、あっくんは生きていて、「元光GENJI佐藤敦啓」をやっていたんだね。

突然、あのアツ担の子に会いたくなった。

あの子だったら、解散後もあっくんのこともずっと見続けていたのかなって。

あっくんと共に20代を歩んでたりしたのかな。

 

 

アイドルを好きになり、いつの間にか冷めること自体は、十代の女の子のありがちな行動です。

でも、あっくんの光GENJIに対する真摯な態度を見て、自分を恥ずかしく思いました。

この長い20年間の空白の時。その間これっぽっちもあっくんの事を気にかけてなかった私。

私がさっさと卒業したつもりの場所、人がいなくなってもあっくんはそこにいて、悩み、一人で光GENJIを大切にしてきたんだと。

 

ナカイの窓」を見た後、同世代の友人たち(非ジャニオタ)と会う機会があり「ナカイの窓であっくんを久しぶりに見て、あっくんに申し訳なく思った」という話をしたら、私たちも見た、そしてその気持ちはとてもよく分かる、と返事が返ってきました。そして「アイドルを消費する」というトピックでしばらく盛り上がりました。

 

ナカイの窓であっくんと再会したのは、私がNEWSに出会う直前でした。ですので、NEWSにはまった後「今度はアイドルを消費しないようにしよう。彼らも人間だということを決して忘れないようにしよう。」と自分なりに決めました。

 

アイドルを消費するという定義が難しいですが、私の中では「さんざん楽しませてもらったのに、飽きたらポイっと捨てて見向きもしない、そのうえ『オワコン』などと言ったりする」ということだと思ってます。

 

そこでまた想いが及ぶのが、あっくんのシンメであった赤坂晃君のことです。

同じ年だった彼らはメンバーであり親友であり、一緒に堀越に通ったクラスメイトでもあり。晃君は堀越から亜細亜大学に進学し、途中で中退こそすれ、大学進学は当時のジャニーズでは珍しいことでした。ルックスの良さ、頭の良さ、順調そうな仕事。解散しても一番芸能界でやってけそうなのは晃だな、などと私は思ってました。しかし薬物で逮捕。まさか晃がこんなことになるとは。

 

晃君とあっくんの違いってなんだったんだろう?と今更考えても仕方ないこと。

でも、ナカイの窓で「一番仲良かったのは?」と聞かれ、晃の名前を口にできないあっくんの姿に切なくなりました。SMAPメンバーとの仲良しな昔話は楽しいけど、一番仲良かったはずの晃は名前すら出てこない。

 

あっくんだって、晃だって、SMAPに入ってたかもしれない。

反対に、中居君だって光GENJIに入ってて、苦渋の20年間を過ごしていたのかもしれない。

デビュー時にどのグループに入るかは事務所の決めたことで単なる運に過ぎない。

 

だったら、、やっぱりジャニーズ事務所にはもうちょっと彼らを大事にしてほしかった。

さんざん稼いできてもらって、売れなくなったらポイっ。それじゃああんまりです。

大人になっての薬物とか、いつまでも栄光が忘れられないとか、それを自己責任で片づけるには少年期をアイドルで過ごした影響って大きすぎる。

 

名前はあげませんが、 少年期にピークを迎えてしまって、加齢とうまく付き合えずに青年期を迎え、そのメンタルのまま、年を重ねる元ジャニタレ、少なくない。

それを本人の責任にする前に、ジャニーズ事務所の上層部は自分たちが彼らに与えてしまった影響を考えるべきだし、彼らに与えるべきだった知恵を考えるべきだよな~と、私は思います。

 

 

ジャニーズもジャニーさんも好きですが、未成年を育てていること、ちゃんと分かってるのかなぁ?と心配に思うことがあります。

特にジュニアの子には芸だけじゃなく、人間としての心構えと、アイドルとして消費される意味を教えてあげて欲しいって老婆心ながら思います。親御さんがしっかりされていればいいんですけどね。(あっくんが今でも純粋さを保ってるのは親御さんがしっかりされていた部分が大きいと思う。)

デビューしたくってがんばってる子たち、たとえ夢破れてもその後の人生が良いものであるよう願います。

 

そしてあっくんへの贖罪なのか、今、改めて光GENJIのCDを手に入れて二十数年の空白期間を埋めるかのように聴いています。名曲の数々、なんか聴くだけで泣きそうになるのは何故。オリジナルのCDアルバムもぜひ復刻して欲しいです。

 

あっくん、あの時は勝手に好きになって勝手に飽きてごめんね。今のあっくんを応援しています。

ジャニーズwebを購読してる方、よかったら佐藤アツヒロさんの連載「R・R」も見てください。

最新の309号には、4月14日からNHK総合で放送される滝沢秀明さん主演の「鼠、江戸を疾る2」第5話にあっくんが出演した時の撮影話について語られてます。撮影に「少し参加」したと表現し、タッキーについて語る、あっくんの謙虚さにまた泣ける....。