あっくんが沢山テレビに出た日と、ついに光GENJIの解散コンサートを見た件について。

5月12日、あっくん、元光GENJI佐藤アツヒロさんが一日に2つのドラマに出演するというメモリアル・デーが訪れました。あっくんをひとかたならぬ気持ちで応援してる私もドキドキしながら放送を待ちました。

 

私のあっくんへの気持ちについては以前この記事に書きました。↓

ナカイの窓のあっくんと、アイドルを消費することについて。 - ゆずこんぶおいしい

いままで書いた80近い記事の中で、スターを最も頂いたのがこの記事だということがなにげにとても嬉しい。

 

1本目はタッキー主演の時代劇『鼠、江戸を疾る』で町人の役。横たわり眠るショット、こぶりな小鼻と通った鼻筋、ちいさな鼻孔の「あっくんの鼻」としか言いようのない綺麗な鼻が映ったとき、(ああ、あっくんだ)とドキッとしました。

2本目は『早子先生、結婚するって本当ですか?』というコメディードラマに、主人公に振られる男性教諭役で出番多め。昔からある笑うと出る皺も、綺麗ながら貫禄がでてきた顔も、ちょっとウザいけどいい人という役にピッタリ。

あっくんが「(役を演じてるのは)俺自身ではないからね、俺の感情はまったくないので」そして、演技の組み立て方が少し見えてきたとジャニーズwebに載せてるのを見て、ファンに気を使いながらこんなしっかりとした感じで話せるなんて、と40過ぎの男性に対し失礼なことを思いました。

 

 

久しぶりに会ったあっくん、たまらなくなって動画サイトであっくん出演時の『ナカイの窓』をまた見て、そして光GENJI卒業コンサートまで探して見ました、ついに見ちゃいました。

 

1995年9月名古屋ガイシホールで行われた卒業コンサート。当時私は海外に住んでおり、ネットも無い時代ですから、光GENJIの情報は一切入ってきませんでした。なので、この映像もまったく初見。それに、今まで見たいとも思わなかったです。光GENJIの解散(公式には卒業って言ってますが解散ってこと)って、メンバーが減って人気も無くなって、、という、なんか物悲しい、さみしいイメージが私の中にあって、全盛期の彼らしか知らない私は見るのが怖かった。

 

最後の曲、「Graduation」を歌う光GENJI。おさえきれず涙をにじませる晃くんに対し、どこか不機嫌そうなあっくん。ファンの子たち、動画では姿ぼかされてますが、みんなタオルに顔をうずめるほど泣いているのが分かります。最後の挨拶のとき、『1回目が終わって、2回目をやる時(※1日2公演だったのでしょう) 、卒業するってことは分かるんですけど、だったら、なんか、やりたくねぇな....って』と言い、『ありがとうございましたっ!!』ってお辞儀してから、少し笑って『話すこといっぱいあるんだけどね、、』で胸が詰まって涙声で『ありがとうございましたっ』と再び頭をさげるあっくん。

 

かーくん(諸星和己)著『くそ長~いプロフィール』(主婦と生活社 2004年)にも解散を決めたときのことが書かれていました。メリーさんに解散したいという話をするために、テレビ朝日裏口に集合したとき一人だけ遅刻したあっくん。メリーさんの家で、一人だけ辞めずに残りたいと言い出したあっくん。ほんとうは解散したくなかったのでしょうね。

 

私が見ていた初期の光GENJIのあっくんは、照れ笑いを浮かべ、ぎこちない動きと可愛い仕草をする中学生だったのに、1995年22歳になったばかりのあっくんは、時折考え込むような固い表情を浮かべた美しい青年になってました。

 

Graduationを歌い終わって、最後ローラースケートを脱いで5人が去り、置きざりのローラースケートだけにスポットライトが当たってコンサートは終わります。

アイドルグループの終わりがこんなに悲しいものだとは。

光GENJI以降、ジャニーズ事務所のデビューグループが解散を選択しないのももっともかな、と思わせる、それだけの悲しみを感じました。

 

観客のコール後の、アンコールの『Winning Run』では、かーくんが客席にダイブしたり(畳一畳もあろうかという巨大なメッセージパネルをかかげてるファンがいたりして何でもありな時代を感じる)、淳一くんが目押さえて泣いたり、それまで冷静だった年長の内海くんが呆然とした顔をしていたり、あっくんはずっとずっとお手振りを続けてたり、各々の(これでもう最後なんだ....)という気持ちが伝わってきて、私まで胸が詰まって涙こぼれました。

 

Winning Runの途中で5人は歌うのを止めてしまって、カラオケだけが流れるなか、お互いの8年間を称えるように肩を組み合ったり背中を叩いたり、あっくんもやっと笑顔を見せます。5人のやり切ったような顔を映したあと、幕が下ります。

 

『ローラースケートとも今日でお別れ』と挨拶の中で言った当時22歳のあっくんはじめ、あの日の光GENJIが思い描いていた未来はどんなものだったんだろう?

 

 

 あっくんと同じ42歳の私、22歳の時に思い描いてた未来とまったく違う場所に今はいます。あの頃の私に「こんな感じになってるけど....」って言ったら「そんな未来嫌ーー!」って泣かれそうだなと思います。そもそも40過ぎた自分の姿を二十歳の頃には想像もできなかった。思い描いた未来とは違ったけど、これはこれで悪くない人生だなと今の私は思ってます。そしてあっくんもそう思ってるような気が勝手にしてます。

 

なぜなら、ジャニーズwebで連載してるR・Rを見ると、あっくんが光GENJIでいたことを、今でも応援してくれる人がいることを、誇りに思いとっても感謝していることが分かるから。それは、光GENJIの解散コンサートで憮然とした顔を浮かべた日から、あっくんが悩みに悩んで生み出した答え。長い月日を経てあっくんと再会した私はそう感じました。

 

中学生のあっくんは「可愛いけどおバカ」なキャラだったので、R・Rや、同じくジャニwebで続けているファンとのQ&Aでのあっくんの書く言葉、相変わらず語彙は豊富ではないけど、人の気持ちを推しはかる優しさだとか謙虚さだとか純粋さ、にいちいち心打たれる私がいます。

 

 

あっくん自身がどう考えてるかはさておき、中学高校時代馬車馬のように働いた彼は、もうあの数年間で人の一生分働いたのだから、もう働かなくてもいいから失われた青春時代を取り戻すような平穏で幸せな日々を過ごしてほしい、なんて私は思ったりします。でもあっくんがこうしてまた脚光をあびるのはとても嬉しい。あっくんがまた第一線で活躍したいと思ってるなら勿論応援します。そして前も述べたように相方だった晃くんも幸せになってほしい。

 

 

70代ぐらいの年配者と話すと、けっこうな割合で、「大体人生みな平等にできてる」っておっしゃります。いい時しかない人も、悪い時しかない人もいない、誰の人生も叩いてならすと大体同じぐらいの幸せと同じぐらいの不幸せだと。40過ぎて回り見渡すとなるほどそうかもなーって思います。

 

芸能人というのは良い時と悪い時の量が違い過ぎて、特に小さい頃からその環境に身を置いちゃうと不安定な精神状態になりやすいと思うのだけど、あっくんにしろ、先日少クラの感想で触れた優馬さんにしろ、くさらず見失わず生きていける人はそれだけで尊敬します。木曜日のドラマで見たあっくんは、若い頃には無かった柔軟さや奥行のようなものを感じて、月日が彼の人間性を高めたのかな、と思わされました。

 

 

あっくんの話をしてると必ず自分語りみたいになっちゃうのは、彼が私と同じ年だからかな。勿論私にはながーい空白期間がありますが、一緒に年を取ってきたと思わせる、そういう面がジャニーズアイドルにはあって、そこも彼らの魅力の大きな一部分であるなと思います。

 

あっくんを見ていると、自分が送ってきた歳月を振り返り、あんなこともこんなこともあったな、懐かしいな。でも、まだまだ私もがんばんなきゃ!って思うんですよね。アイドルとそういう付き合い方ができるって気付かされたのは今のあっくんのおかげで、あっくんの度量の深さが彼のアイドルとしての苦労から生まれたものだと思うと、どうしたって今のあっくんを応援せずにはいられない、、、、って、この話堂々巡りですね笑。

 

この私の暑苦しい語りから、佐藤アツヒロさんが今後も要注目ってことが伝われば嬉しいです。

アラフォーからは以上です!

 

 

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22歳のあっくん。昔も今も、美しい瞳は不変でした。