John Hiromu Kitagawaとジャニーさん:「ジャニ研!」読書感想文

 前々回、戦後日本とアメリカとジャニーさんに興味があると書いたら、記事を読んだ方から「ジャニ研!」(原書房)という本をお薦めされたので早速読んでみました。*1

私がぼんやり思ってたことがしっかり文章になってて、とても面白かったです。特にハッとしたのが、ジャニーさんについてこう述べた箇所。

彼は戦争に勝った国から敗戦国にやってきた進駐軍の一員であって、まず日本のこどもに野球を教え、次にポピュラーミュージックという芸能を教えた。この二つはアメリカを代表する文化ですよね。彼は合衆国から日本人たちに民主主義文化を教えに来た人間なのだ、とわれわれは考えてみることにしました。こう考えるといろいろと腑に落ちるところがある。

 

そうだった、ジャニーさん、本名はJohn Hiromu Kitagawaというのだった。

 

ジャニーさんはアメリカ人

Johnny'sって英語で書くたびに違和感がありません?ほんとはジョニーズですもんね。Johnがジャニーさんになることで見えなくなった部分って確かにある。例えば、私たちオタが「トンチキ」と言って片付けるジャニーズ的なもの.... ジャニーズミュージカルだったり、衣装だったり、グループ名だったり。

とりわけ、時に私たちを唖然とさせるジャニーズ独特のジャポニズム。例えば、太鼓叩きがジュニアの必須科目だったり、滝沢歌舞伎の変面だったり、光一君の階段落ちだったり、スシ食いねぇ!だったり、忍者だったり、関西文化への思い込みだったり、あれが「アメリカ人が考えた日本」ならば合点が行きます。

あれらは単にジャニーさんの素朴な誤解によるもの(例えば中国=パンダみたいな)で面白くしようとか、狙ってやってるわけではないのですね。ジャニーさん自身もよく「僕はアメリカ人だから」と仰ってますが、あのルックスとキャラとニックネームのせいで意外と見過ごされがちな気がします。私もこの本で改めて「ジャニーさんはアメリカ人」と気付きました。

余談ですが、『ジャニ的オリエンタリズムの結晶、忍者のデビュー曲「お祭り忍者」(1990年)のコンセプトはおそらく、美空ひばりジャネット・ジャクソン。曲もダンスも色んな意匠を取り入れて大変なことになっている』とあり、

非常に意欲的であったが、当時はジャニーズという超個性がまだ世間に受け入れる耐性が付いておらず、ジャニーズ的にもまだこなれていなくて、時代的にも理解不能のレベルでシリアスに提示されてしまったんじゃないか、と。

と述べていたのがウケました。 私も当時、これをどう理解していいのか戸惑い、キレキレのパフォーマンスに恥ずかしさすら覚えてギャグにせずにはいられないというか、そういう感じでした。あの頃は「外国人からみた日本」というのがまだこなれてなかったんですねきっと。でも今なら大丈夫!この三十年弱でジャニーズへの耐性バッチリ。2020年を見据えてそろそろ和風が来ると思ってます。

 

 

なぜジャニーズランドができないのか

ジャニーさんのメンタリティは、ワシントンハイツに住んでたころのJohn Hiromu Kitagawaのままなのではないかと本では述べ、その理由として、ジャニーズランドを作らないことを挙げていました。もしジャニーズがジャニーズランドを建設し鉄道を引いて宅地造成をするなら経済効果いくばかりかと思いますがそんな気配はありません。まぁこれは洒落の範疇だとしても、ジャニーズは客席数703席のグローブ座の他には常設劇場を持たない。(その規模からいっても、グローブ座は稽古場のようなもの、と筆者は述べています)あの規模の売上があるのにこれってけっこう不思議。

 

宝塚もウォルトディズニーも自分たちの街を作ることを目標としていた(実際、宝塚は鉄道を引いた*2)ことや、LDHEXILEの事務所)が中目黒に関係施設をバンバン置きEXILE村化したり、ダンススクールを全国各地で開いたり、多角的企業化して自分たちのテリトリーを広げていこうとしているのと対照的。つまり、宝塚の創始者が持ってたような、芸能と都市開発を結びつけるような発想をジャニーさんは持たない。

この本ではこれらの理由を、アメリカ人のジャニーさんは日本に定住するつもりもなく、国家とか政治とか領土とかに興味がないからだとしています。

面白かったのが、EXILEの「ベンチャーで、男らしくて、こだわりがあって」みたいなものは基本は大和魂に根差した感覚。石原慎太郎氏が東京五輪誘致のポスターにEXILEを使ったのと同様。長身でガタイのいいオトコが美しいという感覚含め、石原氏やEXILEが持つ感覚はジャニーさんにはないと述べた箇所。そして、

ジャニーさんがやりたかったのは、本当に純個人的な欲望に基づいていて、政治的なところがほとんど感じられないよね。一生マイノリティというか、成り上がる感覚も薄いし。このあたり彼の複雑な出自が関係してるのかもしれませんが....。

ジャニーさんも2020年の東京オリンピックには並々ならぬ熱意がおありのようですが、それは国家的な話でなく、ごく個人的な思い入れからだというのはジャニーさんの言動から何となく伝わってきます。

 

 

メジャーなのにマイノリティ

上で述べられてた、ジャニーズのマイノリティな感覚すごくよく分かる。特に少クラを観てるときに感じる秘密結社感。ジャニーズというのはタレントもファンも、ジャニーさんというマイノリティな人間の感性を共有することなのだなと思います。

筆者たち(3名の方でこの本は書かれている)曰く、ジャニーズの凄さは一つの事務所で男性アイドルをまかない続けたところにある。汚い手を使ったこともあっただろうが、それ以上にアイドルの発掘と成長に結果を残し、160センチぐらいの華奢な人がカッコイイという美意識を植え付けることができたのがすごい。ジャニーズがなければ日本のイケメンは石原裕次郎加山雄三のイメージのままだったかも。戦後日本の男性のルックスに対する美意識を書き換えてきたのがジャニーズ。

 

少し話変わりますが、美意識の変化同様、恋愛においても男女関係の変化をもたらしたのがジャニーズだと私は思ってて、ジャニーズソングの中で歌われる恋愛のなにが私好きかって、男の子と女の子が平等なことなんですね。オラオラしてる曲もあるけど、本流は「君はそのままで素敵だよ、いつでも君の味方だよ」って歌だと思う。これが戦後日本の歌謡史にジャニーさんというアメリカがもたらした民主主義だとしたら面白いですね。

今やそれ(男女平等や、男はマッチョでなくてもいいという考え)はもうマイノリティーではないのかもしれないけど、今の世の中でも女の子が感じるであろう生きづらさを、マッチョではないジャニーズの男の子がフワッと救ってくれるのがジャニーズの素敵なところだな、って私は思っています。それは一昔前まで女みたいに髪を伸ばして女みたいに踊って歌うと揶揄されてきたジャニーズタレント本人たちにとっても同様。

 

ジャニーさんの構成要素で、僕は最初ゲイオリエンテッドな文化であるという要素を多く考え過ぎていたけど、本当は第一にはアメリカ人要素があって、同時にミュージカル要素、そのあと進駐軍要素、その次にやっとゲイセンス的な要素が来ると考えなくてはならない。

 

これは本当にそうで、私含め、世の中の大多数の人にとって「ジャニーさん=ゲイ」というイメージが先行してジャニーズというものが見えづらくなってると感じます。戦後日本にもたらした民主主義だと思うと、見方が変りますね。

とにかく、色んな面においてマイノリティーな存在であったジャニーさんがこれだけ人を惹きつけてメジャーを作り出したことは本当に興味深いです。ジャニーズの作り出す世界がジャニーさんという個人の発想であることにとても魅力を感じるのです。

 

この本、他にもへぇ~って思うこと沢山あるのですが、ひとまず私的に一番なるほど!と思った部分を取り上げてみました。2012年発行で今とは状況変ってる部分も多いですが、とても内容のある本でしたので興味持たれたら読んでみる事をお薦めします。

 

*1:『ジャニ研!ジャニーズ文化論』 大谷能生速水健朗、矢野利裕 著(原書房

*2:阪急電鉄小林一三は乗客数増加のために大衆娯楽施設を建設した。つまり先に鉄道あきり。なのでここは少し訂正。宝塚の他にも沿線の宅地造成販売やターミナルデパートの建設など、小林一三の作り出した文化もとても興味深いです。コメントで教えて頂きました。