嵐の映画を観てジャニーさんのことを想う

見たほうがいいよ、と友人に勧められたので観てきた嵐の映画は、テレビを中心とした日本の芸能界の到達点のような作品で、私は嵐を通しながらジャニーさんを見ているような終始そんな気持ちになった。

東京ドームがある場所は明治時代は陸軍の工場があったところで、地中深く埋まった工場の土台は東京ドームホテルが建設されるときにやっと掘り起こされたと、何かで読んだ。軍の工場のあとは後楽園球場が建てられ80年代の終わりに東京ドームになるのだが、戦争、野球、エンタメ、とまるでジャニーさんそのものだなと「東京ドームに全員集合みんなにサンキュー!ジャニーズ野球大会」に思いを馳せながら嵐の映画見てる人間はそう多くはないだろう。そんな人間の感じたこと。

 

2019年12月に東京ドームで開催された嵐コンサートの模様を125台のカメラで撮影されたのがこの映画。同年の1月に休止を発表した嵐、勿論誰もこの後にコロナ禍がやってくるとはこの時点では知らない。予定されたことが次々と延期中止になっていく、Netflixのドキュメンタリー「Arashi's Diary Voyage」の鬱展開を踏まえると、コロナの直前に有観客でこの映像を撮れたことが奇跡的に良かった。

この2年弱声援というものを耳にしていないので、嵐がステージに登場するときの地鳴りのような観客の歓声に体が震えた。

東京ドームの天井近くで揺れるペンライトの光に、あそこのあそこまで人がいるのかと、映画を観る人は驚くだろう。5人の演者に対して5万5千人の観客。私がジャニーズコンサートに行きはじめて思ったのが観客がよく教育されていることだが、映画の中の観客も、羽目を外すことなく求められた最大最適レベルの盛り上がりを見せる。そこには、観客として嵐のエンターティメントを完成させるのだという、プラチナチケットを手にした者としての使命感が伺えた。

毎回コンサートに行くたびに何を着て行こうかと悩む私は、嵐から見える観客席に「あ、なんだやっぱ全然見えてないわ」と何を着ようがアイドルからは見えてない事への認識を新たにしたけど、それでも今後も、何着てこ~美容院もいかなきゃ~となるのは、綺麗なファンでいなければという、ジャニーズファンとしての矜持にちがいない。

 

エンターティメントに対し使命感を持った演者と観客で作られる東京ドームの空間は、ジャニーさんが戦後日本で夢見た以上のスケール感だったはず。既に私は冒頭で東京の夜景が空撮される辺りでグッと来てた。焼け野原がこんな煌びやかな都市になって、、、

煌びやかなのは外見だけでなく、時折映画館のシートから「え、なんだって?!今のなに?どーなってんの?」と身を乗り出すシーンが随所にあった。最後のエンドロールでどーんとでてくるプロデューサー松本潤のクレジット、「レッスンやってるからYouも来ちゃいなよ!」と履歴書見たジャニーさんから電話かかってきてテレ朝に呼ばれたあの子がこんなに、、、と松潤の成長の煌めきを感じた。松潤は首から肩の骨格がしっかりしててカッコいいな。

 

ほっとけない要素の強い大野君が私のタイプかなとテレビ見る限りでは思ってたけど、この映画ではあまり各メンバーにクローズアップしないから、嵐全員それぞれ魅力があるよね!っていうフワァとした感想に着地する。誰も突出してないバランスで、この5人を集めたジャニーさんの慧眼よ。

5人はキメ顔も妖艶な表情もあまりしないのが、意外ともなるほどとも思った。アイドルという偶像を自然に身にまとったように、嵐の5人は人の警戒心を解く顔をしている。可愛い顔の男の子が可愛い顔のお兄さんになった感じで、ある曲の長めの前奏で少年たちが踊っている引きの画が映し出されて、ここはジュニアのターンか、と思ったら嵐だった。それくらい、若い。身体的にもものすごく強靭。

そう、強靭でないととても務まらない。こんな忙しい生活を20年も続けるのは。

 

20年の間のどこかで休息をとれれば良かったのかもしれないけど、各々の仕事のスケジュールの都合でそれも難しかったのだろう。

男の宝塚を目指していたジャニーさんはしかし、宝塚のような卒業システムを作らなかった。実務的なことは姉メリーさんが担当し、強気こそ吉で業界を渡ってきたメリーさんが卒業にもその姿勢で臨んだ結果SMAPのあれこれがあってジャニーズ事務所は学び、嵐の賢さと頑張りがこの東京ドームの美しい光景を作ったんだと思う。V6の解散から感じたのは、弊社だって美しい卒業できますから!という自負。

 

櫻井君はバックについたジュニアを呼び込むとき「少しでも覚えて帰って下さいね!」と観客にアピールしていた。先輩が後輩の後援をする、これがジャニーズ帝国の礎だったわけだが、これが合わない人は何年も籍を置かず早々にジャニーズから去っていく。自分たちの人気が一過性であること、個人より組織、これらが多少なりとも理解できないと長年ジャニーズにはいられないと思う。出るのも大変だけど居るのも大変。「30過ぎてジャニーズにいる人は真面目な人。」と友人が言ってたことを思い出す。真面目を言い換えると、日本的組織社会に馴染める人かもしれない。ジャニーズ退所独立組が海外志向帯びがちなのも象徴的かもしれない。そう思うと、日本とアメリカ両方の文化を持ちながらセクシュアリティの故か、無国籍感の漂っていたジャニーさんの作った事務所がこういうふうに日本的に発展したことが興味深い。

櫻井君に話を戻すと、自分の属している組織を大事に思う気持ち、ひいては俺のいる場所を馬鹿にするなという自尊心のようなものが、彼と嵐をここまで連れていったような気がする。

 

 

テレビで顔を売ってファンになってもらってコンサートに呼び込んでついでに後輩アイドルの宣伝もしてという鉄板ルートで大きくなっていったジャニーズ事務所と、芸能事務所を中心としたテレビ界の構造の、最大の成果であり、究極の到達点だなと、この映画を観ながら私は思った。ものすごい量のLEDと、5万5千人の観客と。


ジャニーズファンの中でも、無線制御されたペンライトなんて自分もコンサートの演出の一部みたいで嫌だという人もいる。でも私は、ジャニーさんが戦後の日本で夢見たエンターティメントの光景の先に、この嵐の東京ドームがあったのではないかなと思った。「そんな時代もあったね~」と未来で言われることがあっても。

 

サブスクがバーッと盛んになったころ、「これからは現場!コンサートで稼ぐ時代!」とアーティストと直接対面できる場が一気に脚光を浴びたが、コロナでそれも急激に変化した。

5万5千人のペンライトの海を見ながら、偶像崇拝する時代は終わるのだろうかと考えた。私がジャニーズのコンサートに行く理由同様、「嵐が存在すること」「嵐と同じ場所にいること」を味わいにこの5万人は来ている。接触に意味を見出せず配信でいいや、となればこの空間は存在せず、パソコンやスマホ越しの偶像崇拝というのは熱量が低そう。観客の声援に包まれないアイドルは、自らの価値の見積もり方を忘れ、偶像崇拝の座から降りる、そんな可能性もある。

 

ジャニーさんが夢見たエンターティメント、当初そこには女子たちの自我と欲望は含まれていなかったんじゃないだろうか。女の子たちが勝手にアイドルの萌えを発見し、内面を読み取り、その架空の人格も商品にする。女性と社会の変化が絡み合って、今の男性アイドル産業の反映に繋がったことが面白いなと思う。

これからのジャニーズ事務所を占うような気持ちもあって、この映画を見に行ったけど、松潤だけに限らず沢山のタレントがジャニーさんの意思を引き継ぎエンターティメントの灯を絶やさないようにしていること、観客も矜持を持って参加していることはジャニーズの一番の強みだろう。そしてこの映画をみた私もまた、正しいファンでありたいと改めて思った。

 

と、ここまで書いてアップして自分の文章を読んだら、ジャニーズというのは哲学なんだなと思った。

アイドルをするのも、アイドルを応援するのも難しい。生きるって難しいからこそ御し甲斐がある。先人を見て未来を学ぶ、ジャニーズにはそういう学びがあって、そこが他のアイドル事務所との違いだと感じた。これからの発展も、時代に合わせて哲学的に、切に願う。