ゆずこんぶおいしい

アイドルのもつ一瞬の輝きと永遠の力について考えるblog

『粛々と運針』わたしの感想。

※舞台の内容について触れています

 

『粛々と運針』は東京千穐楽おめでとうございます。この勢いで大阪千穐楽も迎えられることを切に願っております。

しかし、東京千穐楽を見ると大阪も行きたくなってしまいますね。シゲの色んな表情を見たいっていう欲がベースにあるので正しい演劇欲とは言えないのですが。でも前観に行った舞台も私の知らない若手俳優のファンの人が連日リピートしてたっぽいし(ほんとは今日は来ないつもりだったんだけど〇〇ちゃんが来れないっていうからチケット譲ってもらったの。△△さんは明日も来る?とか話してたのを聞き耳)そんなファンの人でどこの劇場も満員御礼してるんだろう。昨日は私の近くでスーツの男性2人が終演なるや否やササっと退場してたけど、関係者だろうか。だらしないシゲの発展、頼みますよ.....

 

大阪に行きたいけど私ばっかり遊んでるのも家族のバランスが取れないなって考える私は、沙都子と應介が気持ちをぶつけあうのを見て、こんなに言いたいこと言えるのちょっと羨ましいって思った。意外と夫婦って本音で話せなくないですか?私がそう思ってるだけかな。結婚生活って盤石でもなくて色んなことにお互い気付かないふりしてやり過ごして老けていくっていうイメージが..... 開けちゃいけないパンドラの箱がある気がする。これってパンドラの箱だよねって指さして夫に伝えるのも恐ろしいっていうか.....そんな感じ。子どもが欲しくないっていう沙都子の恐怖、沙都子自身が誰かに取り除いて欲しがってたように見えたけどどうだろう。あの夫婦はパンドラの箱開けても大丈夫そう。わたしは應介って良い夫に見えたけど(沙都子の地雷は踏んでたけど、はじめが沙都子を傷つける事を言ったときには激しく怒りを見せたところ良かった)他の人からみたらどうなんだろか?

 

どうなんだろうか?っていうのを度々人にききたくなるお芝居だった。

関係ないけど、シングルマザーが彼氏という存在に依存しがちな件について、あれは往々にして実家が頼れないから、アパートを借りる時の保証人になってくれるなど友人にはお願いできないことを頼めるのが彼氏しかいないからなのだという話を最近聞いてなるほどと思った。であれば、実家に頼れないシングルマザーや女の子たちを助けるのは彼氏ではなく、女性一人でもちゃんと生活していけるだけの基盤を作れる労働条件の整備なんじゃないかな、って思ったことを子どもを生みたくない沙都子を見てて思い出した。沙都子の恐怖が母になって自分でなくなるのが怖いなら、母親でも仕事できる環境を職場で作るとか。でもそこで「私が今までどんだけ出産した女子社員にきつく当たってきたか知らんの?」っていう沙都子の人間臭さに笑ってしまった。

 

沙都子は同性だから分かる部分もあるけど、はじめちゃんはちょっと.....。一番ちょっと...なのは、お母さんが死ぬ前に孫の顔見せてあげたいから弟に子ども作って!って執拗に言うところ。いやウゼェ。41歳未婚で実家暮らしでコンビニバイトの義兄ってだけで「ねぇ、お義兄さん将来のこととかどう思ってるの?あなたからそれとなく聞いてよ」って案件なのに自分の知らないところで子ども!お母さんの生きてるうちに子ども!とか言われてたら本気でうざい。はじめちゃんから滲み出てくる人の感情に対する鈍感さ、あ~.....悪い人じゃないんだけどねぇ.....って感じ。紘の話す死んだお父さんのエピソードがウザすぎて(テレビ見てたら美味しい餃子の店やってて今から行くぞってなってでも意外と店が遠くてもう餃子の口になってんだよ!っていっておふくろに2時間かけて餃子作らせた、など)、でもこういう、本人は天真爛漫だと思ってるけどはたからみたらただの無神経、って部分私にもあるわ~嫌だけど多分ある~って思った。

 

はじめちゃんがお母さんに孫の顔見せるの固執するの、生命を繋いでいかないといけないっていう使命感もあるから理解できないこともないけど、だったら自分でなんとかしなよ!っていう。いやでもこのはじめに巻き込まれて結婚して出産するのは嫌だな.... 顔は良いけどこの人は嫌..... 

シゲ担が「連絡取り合ってる元コンビニバイトで今は看護師の女、今は医者と付き合ってるけどコンビニでバイトしてた時ははじめちゃん狙いだったんじゃないか?連絡取り合わないだろ普通。」って推理しててそれな~!

若い時に親戚のおばさんから「結婚は好きな顔の人としなさい。毎日見るのだから。顔が好きなら大抵のことは我慢できる。」とアドバイスされたのが一番有益だったと今も思うのだけど、顔だけで結婚できたらそんな良い事はない。生活に付随する様々な面倒が顔の良さで解決できるなら、私もはじめちゃんの顔を見ながらウフフキャハハと笑って暮らしてはじめちゃんの寝顔を見て起きて、顔が良いな~って毎日思って遊んで暮らしたい。でもそれだけじゃ生活できないわけで..... いっそ男が出産できればはじめちゃんの要求も沙都子の悩みも解決できるのは?

 

シゲの演技が回数増すごとに乗ってきて、適当に投げ出す感じとかウザ絡みしてくるところとか、うわはじめちゃんウザ!って思ったけど、はじめちゃんとソファーでごろごろしてるのを今夢想したら(非常に良いわ。。。)ってうっとりしたので顔の勢いってすごい。(顔だけじゃなくて胸板の厚みもすごい)もちろん、沙都子と應介が話してる奥の暗がりのなかに立つはじめちゃんの顔を見て、「あっ....好き.....」って思ってしまうのはもうどうしようもない。その「あっ....好き....」を味わいたくて何度も劇場に足を運んでるっていうのは確かに、ある。

はじめてシゲの舞台を観に行ったときに感じた「シゲが生きてる....そして私も生きてる....」って感動は年月や回数を重ねても薄くなることはなく、今回も(シゲ.....生きてる.....同じ時間.....)って思った。

わんわんわぁぁぁぁぁぁんんって響くディジュリドゥの律動にその「生きてる...」が共鳴して、心臓がドキドキと高鳴ってくる。命の波動とか、そんなことを思う。

90年代の民族音楽ブームに乗ってた私にはどことなく懐かしい音色。ジャミロクワイぽいというか。演奏をするGOMAさんがパンフレットのなかで、ディジュリドゥの音色が輪廻転生のような3つの世界を繋ぐと語っていたけど、まさにそれ。人の命は一回きりで自分の人生しか生きれないけど、こういう物語に触れた時に生きながら輪廻転生を味わえるような、そんなお得感がある。ディジュリドゥ流れる冒頭5分と最後の5分が素晴らしくて、それだけで観劇代の価値があると私は思った。

 

結が語る桜のエピソードが印象的だった。川岸に沢山桜が咲いてて水面に花びらがいっぱい落ちてそれを舟から網ですくうのも風情があって良かったのよ、でも時代と共に伝統が無くなっていって結局桜の木ごと切り倒されちゃった!そもそもソメイヨシノの寿命80年くらいしかないんだって!ってやつ。死を前にした結は色んな我欲から自由になってる感じで良いなぁと私は思ったけど、先に挙げたお父さんのウザすぎエピソードの時、結の顔が少し微妙になったのを目にして結も生きてる時はどうしようもない葛藤のようなものを抱えていたのだろうなぁと思った。

 

そんな葛藤や悩みをかかえることが生きている証なのかもなぁ。そこには良いも悪いもなくて。と、そんなことを思った。

最後舞台の天井から桜の花びらがひらりひらりと沢山舞い降りてきて、俳優さんたちがそれを手で集めて投げたりフワッとさせてるのが、結の「花びらを川面にそのままにしてたら沈殿してヘドロになっちゃった」って話と呼応してた。東京千穐楽に向かってその花びら掴む動作はどんどん大胆になっていって、俳優さんが舞台に立てる喜び、のようなものも感じた。シゲもいたずらっ子の顔をしていた。

 

いろんな媒体からこの舞台の楽しそうな様子が伝わってきてファンの私も嬉しくなる。

この脚本が最初に上演された時の動画をざっとみたけど、脚本は同じなのにすごく淡白で、あの脚本をこんなふうに膨らまして大舞台で上演したこと、これは演出家や俳優冥利に尽きるだろうなって思った。シゲなんか、もともとそっち側(クリエイティブ側)の人間だから、肉付けする作業たまらなかったんじゃないかな。作り上げる楽しさは昨日のカーテンコールからも伝わってきて、シゲがほんとうに楽しそうな時にやる「帰りたくない~(本気)」が出てて、そんなシゲを見て舞台に立ってる人も舞台の下の人も、えへへへ....って微笑まずにはいられなかった。シゲもそんな自分に(えへへ....)って感じだったけどこっちも(えへへ...)って感じだった。

そういう、人を照れさせる才能ってさすがアイドルって思うんですけどどうですか。

なんか照れちゃうんですよね、可愛くて。

 

はじめちゃんが劇中でかぶってる毛糸の帽子はカッコよさ封印するために被せられてるんだなって理解したほど、毛糸の帽子脱いだはじめちゃんが激イケで。カッコよさ封印してまで加藤さんにこんな役を演じてもらいたいと熱望する人が業界にいることが心強い。

だらしなくて投げっぱなしで甘えん坊な加藤さんいいですよね!ってキャスティングの現場で交わされたか不明だけど、ある!あるよね!って言いたい。モダンボーイズが氷ノ介を生んだように、はじめちゃんがなにかを生みだす気がしてならない。パルコのオシャレさがとても似合ってて、今後も是非よろしくお願いしたい気持ち。シゲの楽しそうな様子とあいまって、自分を出すことに抵抗がなくなったシゲは最強だな、それが人間の成長ってことなのかなとか思った。

 

「みんな老後に観るっていってDVD集めたり色々するけど、結局グループが活動しなくなったら過去の映像って観ないよ。それはもう閉じてるんだよね。観ても過去だなって思うの。」

って、この舞台の合間に会った友だちが言ってたのが真理っぽくって。

なんで絶対に自分のものにならないのに追いかけてしまうんだろう?って私のシゲに対する感情ってほんと謎って思ってるんだけど、それも過去の桜の花びらを集めるような、私が諦めて失ってきた気持ちをかき集めるようなそんな気持ちでシゲを追ってるのかなぁと思った。舞台に立つ彼を見て「あっ.....好き....」って思う感情の鮮明さは他で味わえない特殊で特別な気持ちなんだよねぇ~ なんなんでしょうねぇこれって。

 

落ちてきた桜の花びらをかき集めるみたいな気持ちでここまで文章書いてみました。

 

春って、今まで私が失ってきたものに思いを寄せるというか過去に戻りたいような、そういうぼんやりと憂鬱な気持ちになるのがちょっと苦手だったんだけど、そんな「春」を具現化したみたいなこの舞台に出会って春に紐づいた思い出が出来てよかったです。分からないことは分からないままでもいいんだってなんとなく気楽な優しい気持ちになれたような。