ジャニーズっていう光り輝くなにか(伊集院光とらじおと 佐藤アツヒロさんゲスト回)

同じ歳のアイドルというのは不思議なもので、同い歳というだけで親近感が沸くものです。佐藤アツヒロさんについては当ブログでもたびたび記事にしてますが、なにか私にとって節目節目でその存在を感じずにはいられない人です。

 

といっても、4年前、久々にその存在を思い出したのは、同じくジャニーズ所属のアイドルNEWSを突然好きになったからで、中学2年の時、光GENJIのデビューに際して「こんな可愛くてかっこいい人が同じ歳!」という驚きと、あっくんが有していた都会的な雰囲気(あっくんの地元・藤沢が都会じゃないことは大人になって知った)にやられていたことはこの数十年すっかり忘れていました。

 

中学生の私にとってあっくんというのは、芸能界を舞台にしたマンガの登場人物みたいなもので、実在する人間感はゼロに等しく、だからその当時読んだアイドル雑誌であっくんが何を話してたかは一切覚えてないけど、あっくんがフィリックスという猫のキャラクターグッズを集めていたことだけは覚えている(そういうところが都会的でかっこいいと思ってた)。

 

なので、大人になった(45歳!いや私もだけど)あっくんが紡ぐ言葉にいちいちびっくりしたり感激したりするのです。30年の時が流れていることにも。30年!その30年間を追うことはできなくとも、せっかくこうして再会できたのだから、あっくんとの出会いは大切にしたいと思う私です。

今日は少し前に伊集院光さんのラジオ*1にゲストででたあっくんについて。(あっくんの動向をつぶさに追ってるわけではなく、これもTwitterの友だちに教えてもらってradikoで聴くことができました。感謝、そしてそういったファンの広報活動の大切さも改めて実感。)

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当時の『光GENJIすげーぜ』っていう印象について、ニッポン放送の会議室いっぱいのハガキについて話す伊集院さん。ラジオ番組でしか配られない光GENJIのビデオが抽選で1000本当たるのに対して届いたハガキが28万枚という....

 

いろんなこと聞く前に、と前置きしてジャニーさんのことについて尋ねる伊集院さん。このこと聞かれたあっくんが悲しんだりしみじみしたりするわけでもなく淡々とした様子だったことに、彼が歳を重ねてきたことを感じました。中年になった子どもが親の死を受け入れるとでもいうか、若くしてお母さまを亡くした彼の死生観もうかがえました。

 

伊集院:ジャニーさんが亡くなったということを、近かった人はどういうふうに受け止めているのか、ジャニーさんの存在について

佐藤:それはもう一言では答えられないっていうのが、本音はそうですけど。自分の中では、デビューして、、一番最初はYouでデビューするからって事務所入って半年で言われて。ジャニーさんが作ってくれて、それに乗っていただけというか。ジャニーさんが倒れてから、僕病室にも一週間ずっと通って、一緒にいたいと思いまして。先輩や後輩たちといっぱい喋って、で、こういうことになって。今となってはほんとに感謝の気持ちしかないし、で、自分の胸の中にもジャニーさんがいるっていう気持ちもありますし。自分の母親は自分が30歳の時、60で亡くなってて、それもまた自分の中で自分の胸の中にいるという気持ちもあるので。

ジャニーさんがよく言うのは、人の真似をしないとか、個性を大事にするというのがすごかったので、僕もそのままで生きてこれたというか、だから変に大人になるというよりは子どものままで、純粋な心を持ち続けること、すごくジャニーさんにとっては大事なことで、それを教えられたというか。事務所の他の人たちも、それぞれのらしさで頑張ってる感というのが今でも残っているので。

 

すっかり大人になったといえど、あっくん独特の前のめり気味の早口は30年前と変わらず。伝えたいことがたくさんある人ってこうなるよなって、私が出会ってきたいろんな人を重ね合わせてさらにあっくんのパーソナリティを愛しく思う部分、大きい。

 

ジャニーさんに言われたことで覚えていることは、と伊集院さんに質問されたあっくんは、沢山ありますけど、僕基本的に目立つのが嫌いなので、「なんでYou目立たないの?」とか「なんでYouセンターちゃんとやんないの?」とか怒られましたね、といい、そんな控えめなあっくんが好きだったんだよなーと思いましたが、それも今こうしてあっくんという人の内面をJWEBの連載などで知ることで、あっくんってそういうところあるよな、そういうところ好きだなーって発見してる感じ。30年越しに初恋の理由を理解させてくれる、あっくんってなんて素敵なんでしょう。

 

光GENJIの活動はあっくんが13歳から22歳の8年間。そしてその終焉についても語ってました。

 

佐藤:20歳ぐらいの時から解散するよって聞いていて。7人ではなくなるって、7人じゃなくなるなら俺も辞めようかなって思っていたら辞める人間と辞めない人間に別れて、5人になって1年後に諸星君が辞めるってなって。4人か。ってなって。で、じゃあもう解散だね、ってなって。

伊集院:こうなると、一番年下って大変だなって思うのは、上の子たちはどんどん自我が出てくるじゃない。末っ子たちはそこにある程度運命を左右される。

佐藤:そうですね、完全に左右されましたね。

伊集院:自分は続けたかった?

佐藤:そうですね。19,20歳ぐらいからこうしようああしようってやっと思ってたので、でもそれが出来なかった。やる前に終わってしまった。消えてったという。で、またキツかったのが、世間的には終わった感満載だった。光GENJIが解散して。終わった感満載だったのに、僕の人生はこれから続くのに!って思ってたんです。

伊集院:やっとグループとはなんぞや、アイドルとはなんぞや、が分かってきたのにってなるね。でもそれは運命だもんね。

佐藤:ソロ活動4年ぐらいやって、でもまぁ時代的にそういう感じの雰囲気だったので、光GENJIとは違うことしようと思って、でも応援してくれるファンの方はそれを求めてたんですよね。

伊集院:光GENJIを求める!わかるなー

佐藤:はい。全然違うことになってたので、どんどんファンが減ってくんですよね。どんどんファンが減って、で、事務所からは「まぁ、そういうことだよね」って。(伊集院・佐藤:笑)「自分の好きなことをしてるとこういうことになってしまうよ」的な。そういうことを話し合ったことがあって。一度様子を見ようって、初めてもらったお仕事が舞台のお仕事だったので、一回舞台のお仕事をやってみようか、って、舞台ダメだったらおれもうダメだ、やめよってなって、で、真剣に舞台をやろうと思って、で、したら今ずっと舞台を一生懸命やってる感じですね。

伊集院:ドラマティックなのがさ、さっきのジャニーさんの話と合わせていくと、ジャニーさんは少年であることは大事だ、と。でも全部が全部そうじゃいかないわけじゃない。自分の好きなそのやり方だけではいけないよっていう宣告はある意味大人にならなきゃいけないってことじゃない。で、最後に舞台が。舞台ダメだったらもうダメだってなったんだ。

佐藤:はい、なりましたね。でも逆に舞台の環境的にはスタッフさんとか役者さんとか、みんなで作ってる感じで、芸能界よりは、舞台界というのはみんなが一緒に作ってく、すごく僕の中では新鮮で。昔、13、14の頃、大人がみんな頭を下げるのを見て意味わかんない状況で、なんで僕に頭を下げるんだろう?!っていう変な世界がまともになったっていうか。

伊集院:こうやってみんなで汗流して、舞台裏の人からチケット売ってくれてる人と、やったな!っていうのが初めてだった

佐藤:そうです。それが新鮮で。これが生きてくっていうことなんだろうなっていうのが自分の中にあって。

 

そうしてあっくんは舞台俳優としての道をみつけ、ジャニーズとしては珍しい小劇場系も含め、50作以上に出演する俳優となったわけです。

 

 

すごく当然なんですけど、「あっくんもこの間生きてあっくんの人生を送ってたんだな」って思うんですよね、私が私の人生を送ってる間。ほんと当たり前だけど。少女漫画の登場人物じゃなかったって。そして今まで私たちを運んできてくれた年月に感謝したくなる。

 

その当時はジャニーズ以外に男の子のアイドルっていなかったし、自ら選択したつもりもなかったけど、こうして時間がたつと、あの時一時的でもあっくんを好きだったことは今の私を作ってる一部だなと思います。好きなことに対して早口なところやシャイなところや、言葉や表現へのこだわりとか、シゲにも続く私の男性の好みがあっくん由来なのかは不明だけど、そういう人がもともと好きなんだと、あっくんの話を聞いてて思った。

今は選択肢も増えたけど、やはり女の子が一番最初に出会う異性としてジャニーズというのはいまだにそれなりのパワーを持つことは、息子の学校の校内放送でキンプリが流れた時の小学生女子たちのキャーキャーで伺えます。

 

番組の終わりにあっくんが「ジャニーズにいること」ついて語ります。

 

伊集院:すごい聞きたいのは、ジャニーズ事務所にずっといる人生、外に出る人生、色々あると思うんですけど、アツヒロ君がジャニーズと一緒にいる人生を選んだ理由は?

佐藤:いる理由....。よく、ジャニーズに残った、っていう表現ありますよね?あれ、僕嫌いで。別に残ったわけじゃなくて、ジャニーズにいても大変だぞ!って僕はおもってて

伊集院:なるほど、なるほど。出る人だけが冒険してるみたいなイメージちょっとあるよね

佐藤:ありますよね?それが嫌で。残ったんじゃなくて「いる」んだ。

伊集院:それをチョイスして、ジャニーズである大変さを請け負いながらやると決めた

佐藤:いても大変ですからね!若い子いっぱいでてくるし、いても大変です。でも僕はいるという選択をして。ジャニーズだからこそ。だって、ジャニーズっぽくなかったら逆にまずいじゃないですか。だからジャニーズっていう光り輝くなにか、そういう感じも残しつつ、でも役者でも頑張るし、他のところでもがんばるし、それでジャニーズにいるんだってことでやってます

伊集院:いや、とても説得力がある。出る闘いをする人はする。残って闘う人は残って闘う。色んなことを選んでやってるってことだね。

佐藤:そうですね!選んでやってるってことです!

 

ジャニーズだからこそ、光輝くなにか。

そのことをあっくんが明言して、でもその「光輝く」何かが何であるかについては、おそらく『感じ』としては掴んでるけど、あっくんにとっても言葉にはできないものなんだと、私は感じました。

 

ジャニーさんがお亡くなりになって、でも、今のところ「Afterジャニーさんの世界」は私の想像より均整がとれてて、それってジャニーさんのお葬式での笑顔のジャニーズたちの集合写真のような「光輝く何か」を、みんなが心のうちに宿しているからかな。

もちろん「光輝く」ことがプライオリティではなく、事務所を離れた人もいただろうし、あっくんは「光輝く」スピリットがもともとの資質に合っていたからジャニーズにいるのだろうし。しかし、やはりジャニーズはすごいな!と思わずにはいられないのものが、あのキラキラしたお葬式の集合写真にはありました。

これからもジャニーズのキラキラがみたい私にできるのは、きちんと対価を払い、声を出して応援することで、それって中学時代の私にとってはまるで他人事、というか「応援」というワードはあのころ無かったので、時代の変化と、そして、アイドルとファンの距離感の変化を感じます。

 

アイドルが普通の人間であることを知った私は、じゃあ一緒にそのキラキラが生み出せたらいいね、って気持ちでNEWSを絶賛応援中です。そういうのも新鮮。

 

伊集院さんも感じたように、ジャニーズは少年であることは大事だ、でも、少年のままだけではいけない、大人にならなきゃいけない部分も。売れ続けるために「大人にならなきゃいけな」くて、でも若さの輝きも持ってなきゃいけなくて、そして基本的にジャニーズはこうしなさいああしなさいと言われないので自分でその落としどころを見つけて変化していかなきゃいけない、その過程に、私は魅了されるんだなって今思いました。若さに代わる、新しい価値観を自分自身に与える必要のある私。NEWSを応援することは、少女の気持ちと、大人の分別、そのバランスを私にくれるのです。

 

長くなりましたが最後に!これは中学生の私にも言いたいのですが、あっくんの舞台見に行きます。はじめてのあっくん。まさか、あっくんに会うことが私の人生に起こるとは、、って感じ。あっくんが演技をするのを見て、私は何を感じるのかな。楽しみです。

 

舞台「ブラック or ホワイト」

https://www.shochiku.co.jp/play/schedules/detail/enbujo1908_02/

 

 過去記事

yuzukonbu.hatenablog.com

 

*1:TBSラジオ 伊集院光とらじおと 2019/07/29放送