「エドモン」初日行ってきました。(ネタバレあり)

※若干ネタバレあり。

 

おはようございます。エドモン初日観てきました。一晩開けてまだ舞台の熱が身体を覆ってるようで、見た夢を記憶に留めるように昨日の事を書いてみる。だって昨日が夢みたいだったから。

 

名作舞台の衣装やセットが展示された新国立劇場の入り口は夢への入り口…

と、ここまで書いたところで部屋に夫が入ってきて、昨日帰ったら夫寝てたので軽く互いの報告など。早速日常に引き戻される。

 

私の夫は浮気とかするタイプじゃなくて、でさ、私はこうして他の男に会いに行ったりしてさ、で、仕事で疲れ、家ではわたしと息子の相手をし、浮気もしないで、夫って何で頑張れてるのかな彼の楽しみってなんだろうって時々思うんだよねーと、舞台終わり新宿の安い店で固いステーキ食べながら友だちに言ったら、その世代は家族を養ってる俺、大人になった俺、に満足できる世代なんじゃない?それが当たり前な昭和の世代。と言われ、そっかーと思ったけど、今、新しいTシャツをおろして着替えた夫にどこかに行くのと尋ねたら「夢の国に行ってくる。俺、昨日ゲーム買っちゃった。ドラクエ。」と言って部屋から出ていった。

 

なんでいきなり夫婦の話をしてるのかというと、この舞台が夫婦の在り方についても描かれてるから。

芸術家の夫を支える妻(子どもふたり、ほぼワンオペ、実家は有り)。 買い物に行くお金もない。夫は午前様。キャバクラ?浮気?同じ女からの手紙が再三家に届く。信じられない。昔かけてくれた言葉とおなじ言葉を別の女にかける夫。

 

なんか最後丸いこと収まってたけど奥さんちょっと気の毒って思っちゃった。でも奥さんは日常のあれこれを許せるほど、夫の才能に惚れてるってことなんだよねラストのあれは。才能ある男を支えるっていうのは甘美な感情なんだろうね、何となくわかるね、と私が言う。

 

「だからさ、シゲにとって、シゲ担はミューズなのよ。」

 

友だちの発言に思わずアハハハハハハ!と声をあげて笑う。なにそれ!面白い解釈!シゲの奥さんと、わたしたち、ってこと?!

そうだよ、だって小説だってファンがいなかったら書いてないんだから。ファンのために、ファンを思って活動してくれてるんだから、私たちがシゲのインスピレーションの源。わたしそう思って舞台見てたけど? シゲにこの舞台演じさせるってなるほどな~って。

 

奥さんに肩入れして観てた私の目から鱗が落ちた。やだーそんなミューズだなんてーうれしいー。気品を上げてかなければ。

 

ここまで書いたところで夫に朝マック誘われたのでマックで書いてます。ハッシュポテトってあと一口か二口食べたいってところで食べ終わる絶妙な量。美味しすぎて一旦ここで食べるのやめとこってトレイに置いてもやっぱり食べてしまってああ…もう無くなってしまったってなる。

 

なんの話。そうそう、ミューズの話。別のシゲ担さんもシゲの糧になりたい、って言ってたし、また別のシゲ担さんもシゲを選んだっていうかシゲに選ばれたっていう感じ、と言ってたし、わたしの周りにそういうシゲ担が集まりがちなのかもしれないけど、わたしシゲ担のそういうところ好き。

 

ミューズと言っても、シゲから見て個々なわけではなく、ぼんやりとした集合体なんだけどね、と昨日の話を考えてたら、シゲのプライベートは奥さんが支え(※シゲは未婚)、ファンはシゲの創作を支える……どこかで聞いたことが……あ、赤西くんのeternalだ、と思い付き、この話夫に投げてみたらどんな感想持つんだろうと向かいで本めくってた夫に、劇の粗筋を説明したうえで、でさ、eternal構文って知ってる?と聞いたら夫知らなかったeternal。ネットやっててeternal構文知らないんだ。。。すぐにググり、夫が読み上げるeternal構文。問われてもいないのに発狂してないよと名乗り出、内面は動揺してるだろうにメイサをディスりもせず、健気なeternal構文。発狂してないよ、ってことは発狂してるファンが沢山いたってことでしょ?で、そうじゃない側ってことなんだよねこの人は。最初私、ではじめて「私たち」と一人称変わるところがこんなにも長く語り継がれることになったんだね、『仁の音楽=魂』が突飛でよく分からないけど、言いたいことは分かった。と、帰宅後早速、アレクサ赤西仁のeternalかけて、と夫。私も初めて聴いたわeternal。笑いを堪える夫に「赤西くんってジャニーズ辞めて何年もたつのに未だにJr.たちに根強いカリスマ性があるんだよ」と何故か赤西仁のフォローをする私。若いうちにイイ女と結婚してアメリカ住んでみたいなモデルケースとして。知らんけど。

 

閑話休題

 

アイドルを追ってない人の世界にはeternal構文が存在しないんだな、と知ったところで、エドモンの愛してるのは妻、でも日常生活から芸術を産み出すのは大変。家は子どもの泣き声。集中して執筆するのは一人になれるカフェ。詩のアイデアが浮かぶようなミューズも必要。一瞬恋かと錯覚しそうになるけど…というのは、実はまさに私たち(eternal的に一人称広げてみた。リアコではないと思いながら自分でも説明できない気持ちを抱えて日常をおくるオタクのことを指す)の事なのでは?

 

と、ふと思いました。アホみたいにブログ更新したり言葉が溢れだすの、シゲがわたしのミューズだからなんだろうな。

昨日も美しい愛の詩をクリスチャンに成り代わり即興で口から滔々と発するシゲの、2階席で観たから顔が見えてるわけでなく、その美しい言葉に酔えた。

自分とエドモンが似てる点あるかなんて思いが及ばないほどセリフ量も動きもあって大変とのシゲの言葉通り、びっちりと練られた脚本と台詞にシゲを思い浮かべることはないんだけど、シゲがあの役をやることで生まれるエドモンの才能の輝きの説得力は絶対ある。あれはシゲにしか出来ない役。いい舞台に巡り会う運の良さをシゲは持ってる。

 

時折オペラグラスを手に取り表情をみて、なんて美しいひと…と溜め息をつく。そして表情の豊かさ。リュミェール兄弟が発明したシネマトグラフを観て、ショックを受ける冒頭シーンからその表情に引き込まれる。書けないスランプに陥ってから追い込まれ、詩人の底力を出す場面。思い付いたアイデアがどんどん繋がっていくときの生き生きとした顔。次から次へと立ち上がる問題にてんてこ舞いしながら解決していく様子は、ドラマ『The offer』で映画ゴッドファーザーを作るために奔走するプロデューサーを思い出す。あれも大変面白かった。古今東西、なにかをチームで作って客に見せるというのは特有の高揚があるな。

エドモンも後半に向けてどんどん高まっていき、さぁ初日!を迎えたチーム感がすごい。そして、劇中劇が終わり、これにて完!となった瞬間にワァーーー!!パチパチパチパチ!!と新国立劇場の、実際の客席から嵐のように巻き起こる拍手に、鳥肌が立つ。これはやめられないわ。役者は一日やったら辞められないってほんとだわと手を叩きながら思う。台詞や舞台変換が多くてとてつもなく大変そうな舞台だけど演じてるひと楽しそう。

 

やっぱり生の舞台はいいなぁ。同じタイミングで客席から笑いが起きるのも楽しい。誰かと一緒に見るからこその楽しい空間。

 

奥さんがエドモンに「書けなくても、お金がなくても、パリは美しい街よ」的なことを言っていて、恋や詩やカフェや、単純な糧で人間が満足してたころの平和な楽しさが舞台にあってそれも良かった。照明の具合がパリの夜って感じだった。なんとなく、オレンジ色の。パリのカフェの小さなテーブルで、カフェオレとチョコレート入ったクロワッサン食べながらペチャクチャ喋りたい。

 

楽しかったな~♪

最高だった。

最高だった。楽しかった。っていうのが感想の全て。なんだけどここまでだらだらと書いてみました。洗濯物干して蕎麦茹でてお昼ごはんにします。と、いう日常が退屈じゃないのは素敵なミューズ(推し)がいるからなのかも。

 

と、日常の途切れ途切れの時間を集めて今日も駄文を書いてみました。書かずにはいられない。

 

仕事が多忙な中、観劇に来た友だちはまだ金曜日のあさイチ見れてなくて、家で観てた旦那さんに「あれは神回。」と教えてもらったらしい。巻き込まれてるな。微笑ましい。そんなふうに人々を巻き込んでいく力を感じる舞台だなって初日公演は思いました!

 

ちょっと寒いから温かい蕎麦にしよう!