シゲがあの大きい目をぐるっと回して空中を見ながら喋るのが大好きなんです、わたし。あ、いきなりすいません。徹子の部屋の話です。
シゲが目玉をぐるぐるさせながら、考えを自分の言葉に置き換えて話す姿がとても好き。特に抽象的なことを考えてる時。だから、番組の最後で徹子さんが「なんか作家らしい愛の言葉っていうのは、言える?カメラに向かってちょっと。」とおっしゃったとき(この方、打てば響くから面白いことを言ってくれるに違いないわ。どう返してくるかしら。うふふ。可愛いわね。)という徹子さんの心の声が聞こえた気がしました。
そんな茶目っ気に一瞬動揺したあとすぐに、自分の言葉じゃないんですけどとスリランカの大統領の言葉を引用するシゲ。『憎しみは憎しみによって止むことはなく愛によって止む』と、案の定カメラ目線でなく答え、その言葉にまつわる逸話を紹介するシゲ。
改めて、私がシゲを好きになったのは必然で、そうなるとしかありえないと感じた30分間でした。
好きしかなくてなにから喋ればいいのか分からなくてアワアワしちゃう。夜中の乙女ちっくポエム発動しないように気をつけて書きます。
これ読んでる方はシゲが好きだと思います。
ね、みなさんはなんでシゲを好きなの?
けっこうそういうの聞きたいタイプなの。
私はね、シゲが、自分の目で世界を見て、自分の言葉で正確に世界を表現しようとしてるところがとても好き。
その姿勢がとても尊くて、「作品が好きだ」以前に「作者が好きだ」という環境に身を置きつつ文章を書き続けるシゲのこと、正当に応援したいと思ってシゲ担やってます(自己紹介...)
そんな愛の言葉を持ってきたシゲは、インタビューなどで時々「恋愛は自分の得意分野ではない」的なことを言います。シゲ、辛い恋でもしたんかな?と思ったりしたんですけど、ある時からそうではなくこれは彼の真面目さの表れなんだと思うようになりました。ファンにとって自分がどういう対象であるかを知っている彼は、あえて恋愛を自分の生活から排除しようとしてるのかな、と勝手に思ったところで胸がぎゅん、なのかずーん、なのか、ああ、、なのか、よくわからないけどそういう感情になりました。
そんなこと言っても、抑制されたシゲのエロスが溢れてステージ上はとんでもないことになってますから。
徹子のシゲが(徹子のシゲってw)が良すぎて、むしろ何度も見れない。
リアル感のあるお肌も、ニコぉ!って猫みたいな笑顔も、人中のうっすらとしたおひげも、優し気な目元も、小山さん増田さ、くん、手越くん、ってメンバーの関係を「黙ってる時も心地良い」っていうのも、徹子さんがフフッって笑うのにつられてヘヘッて笑うのも、唇をむむってするのも、良すぎ。家族の話も、梅干しの写真も、梅の傍らの容器も、紀州梅の大きさも、梅が紫蘇に綺麗に染まってるのも、梅のへたを取る仕草も、クッションの下から梅干しの瓶を取り出して徹子さん食べるのかな食べないのかなって微妙な時間も、、、、
私にとって梅と言えば、堀越高校そばのマンションの屋上で伯母さんが梅を干すのをよく手伝ったっていう思い出しかなかったので、堀越、梅、とくればもうこれは運命としか言いようがない。運命を探し当ててこじつけるのが恋の得意分野なので。
それは冗談だけど、自分自身が過去に体験した風景の断片がふわっと浮き上がって、シゲの文章と混ざりあう、そんな気持ちになりませんか?シゲのエッセイを読んでると。私がシゲを好きだって気持ちを取り除いても、シゲの視覚的描写って優れていると思うのですけど。
それと同時にシゲを見てるとちょっとだけなんか悲しくなるんですよね、失った時間やもう会えなくなった人を思って。好きなのに、どこか悲しい。恋には別れがあるからかな。この辺自分でもよくわからない感情だけど。
シゲのこと好きすぎて一周回って自分が嫌いって呟いたら、友だちが「それって昔からシゲを見ているファンじゃないからじゃない?」って言ってくれました。そうかも。どんな時代にファンになった方も大切に思ってくれていることは重々承知の上、シゲがファンについて優し気で楽しそうな顔で話すとき、自分のことじゃないなって思ってしまうんです。こういうことを言うと、「ゆずさんは立派なファンですよ!」って言ってくれる人が多いんですけど。その自信の無さがあるせいで、こうしてしつこく文章を書いて誰でも読めるようにしてるのです。。。
シゲ担って、お互いに大丈夫ですよ、シゲのファンとして素敵ですよ、って励まし合ってるイメージ。シゲが素敵過ぎて。そんなふうなの、私だけかもしれないけど。
慶ちゃんならね、素直に受け取れる。こないだのKちゃんNEWSで最後に小山さんがNEWSのファンに向かって「がんばれー!!!!」って叫んでくれた時、泣いちゃいました。(看護師さんからのメールで、NEWSのファンのみんなに頑張れって言ってくださいって、そのメールにも泣けた。)
コロナ以後、自分の仕事が人のためになってると思えなくって(私はアパレル関係の仕事をしているので、こんな時、服なんて要る?と)社会に対して負い目を感じてたような気持が、慶ちゃんの頑張れー!で「私、疲れてたんだね!」ってなんだかはじめて自分を認めてあげれた、その中に入れた。って気がしました。
自分たちが一番ツラいであるだろうに、人を包んでくれる優しさにも、泣けた。感謝と、なんだか申し訳ないような、そんな気持ちも。
これがシゲからの激励だったら「私にじゃない」って思っちゃったのかな?
徹子の部屋を見ながら書いていたら何を書いているのか分からなくなった。完全に迷子。。。今日もこじらせてるな~wと思ってください。
数年前の記事を置いておきます。
いいこと言ってる気がする。
最近のシゲが素敵すぎて動揺を隠せません。
「安井かずみは『会えない時間が愛育てるのさ』って言ってた*1けど、それは両想いの話で、片想いは『会えない時間が愛こじらせる』。」ってツイッターで見たけど、ほんとその通りです。