Johnny's Festival ~Thank you 2021 Hello 2022~ 東京ドームで感じたことの記録(ネタバレなし)

ジャニオタと一言でまとめられても単に好きな誰かがそこにいる人たちの集合体なんだなと当たり前のことを思ったジャニフェス、Johnny's Festival ~Thank you 2021 Hello 2022~で感じたことの記録。ネタバレを気にする人はこのブログクリックしないだろうと思いつつ、雰囲気伝われば良いなとネタバレ無しでふんわりとまとめてみます。

 

一人で申し込んだら当選したので防振双眼鏡手に東京ドームにやってきた私。左隣は自担の出番以外は席に座ってるタイプの女性2人、右隣はジャニーズ知識に精通しているぽい女性1人。

開始前、右隣の女性が座席でブルーベリーの錠剤を食べてるのでふと足元に目をやるとバッグからたくさんのうちわの持ち手が出ていた。誰担なのか聞きたくなる。

自分もジャニオタ中程度の知識は持ち合わせていると自負していたが、2階中段から見るステージはなかなか手ごわく、彼女の息遣いで今ステージなにか大変なことが行われている事を把握していた。例えば、キンキが歌ってる途中で(ぐきゅ!!!)と声にならない悲鳴を彼女が発したので防振でステージを見たら、バックで踊ってるのが、、、、JUMP?ちがう、、誰だ、、、あっトラジャか!と2階席の双眼鏡越しでも分かる宮近君の目力でアナウンスされてないジュニアがでてることを理解。右隣がいなかったら絶対気付けなかったポイント多々あってありがたかった。

 

どのグループの曲でもペンライトを手振りできる右隣の彼女の、推しは一体誰なのかと気になり、うちわを持ち変えた気配を感じてそっと目をやったら「照」とあったので、(桐山くん、あんた幸せものだよ...)と思ったけど、岩本照くんかもしれない。

 

対照的だけどジャニオタあるあるなタイプの2組に囲まれた私は、「平等に色々楽しもうとしてたけど途中から自担ロックオンなオタク」だった。

シゲの出番が終わり、暗転の暗闇の中で舞台裏に向かうシゲの後ろ姿を目にしたらもう居てもたってもいられなくて、というか、配信じゃ絶対見られないところ見なきゃここにいる意味!と思って欲望に忠実に防振を持ち直した。

おかげで、自分たちの出番ではないけど馴染のある曲なので歌詞もバッチリ知ってて歌を口ずさむシゲ。足を肩幅に開いてただ立ってるだけのシゲ。他グループの曲の振り付けを情感こめて踊るシゲ。トロッコに大人数で閉じ込められるシゲ。閉じ込められるといっても過言ではないほどイケメンてんこ盛りの中に埋もれる先輩シゲ。そのてんこ盛りのトロッコの中で後輩に絡まれるシゲ。長い停止状態から振り切って頑張るシゲ。それを笑顔で見る小山さん。いつもは近寄りがたそうなオーラの加藤先輩のリアクションにアハハ!と楽しそうに笑う後輩たち。光一君になにか話かけられエヘヘという顔をするシゲ。両手バイバイで観客に応えるシゲ。他の人々と壇上に並び神妙にする、改めてジャニーズなんだなこの人はと思わせるシゲ。

 

という、シゲofシゲを堪能した。防振のピントがシゲの時だけピタッと合う。嘘じゃなくてほんとうに。まるでその日初めておろした新品の防振がシゲを知ってるかのように。これが恋、ってやつなんだなと思う。

 

カウコンとは別に設けられた謎のイベント・ジャニフェス。

行って理解したその趣旨は、来年からステージを再開します、これからもどうかジャニーズの応援よろしくお願いします。ということ。代表して何人かが挨拶するも、中島健人くんの「restartします」という言葉が一番わかりやすかった。最後の幕が下がっていくなか「これからも美しくいて下さい」と言い放ったのは確認するまでもなくケンティでしょう。ケンティはなんか色々と超越してた。テレビでケンティがキメ顔キメセリフしてると「ぷぷっ」って吹き出してしまうけど、これからはちょっと改めるつもり。

同じく、個人的にあまり魅力が分からなかった亀梨君も、はじめて生でみてその地位に見合うだけのものがあると認識。仕事を任せたくなる安定感があった。仕事の現場で次の仕事を掴んでくるタイプだと思う。

アイドルは不安定さも魅力のうち、でも、コロナ禍からのリスタートです!皆様これからもジャニーズをご贔屓に!と70数名のタレントのなかの一人として東京ドームの壇上に立つのは安定したなにかを内に持ってないと難しいのではないだろうか。

 

ファンもタレントも「ジャニーズというなにか」に希望や未来を見出そうとしている気がした。個人個人は己の欲求に従って防振をのぞいたり、タレントだって事務所の未来の前に自分個人の人生設計があるだろうに、先ずはジャニーズという括りを据えてるところがやっぱり面白いなこの組織は、、、

 

私が思ってる以上に、「ジャニーズである」という自負は彼らタレントたちにとって強いものなのかもしれない。伝統工芸の担い手のような。

結構それって、最初にジャニーさんに選ばれた幼き日の刷り込み的なことなんじゃないだろうか。小学生Jr.だったまっすーが、KinKiの正月コンサートで東京ドームの端っこに立った時の気持ちを今も忘れていないように。

 

が、しかし。幼き日の強烈な刷り込みだけじゃ事足りないことを、ジャニフェスのまっすーが表していた。すっごい良かった、まっすーとNEWS。

東京ドームは元々、歌を聴く場所ではない。音、響かないし。だから、東京ドームのコンサートってまぁ大規模な接触のためのイベント、推しと同じ空気を吸えることに意味があるってイメージで、確かにジャニフェスも滑り出しはそうだった。

しかし、NEWSの「未来へ」は違ってた。

まっすーの歌いだしで、会場の空気が変わって、ドームをNEWSが歌で支配していた。これは私の欲目ではなく、2階から会場を眺めて感じたこと。観客が「歌」を聴いていたのは、あそこが最初だったし、あの日の歌の頂点は「未来へ」だったと思う。

NEWSに全く興味なさそうな後輩担の心にもすっと何かを置くまっすーの歌声だった。

コロナの2年間でミュージカルを体験したまっすーは、段違いにパワーアップしてた。押しつけがましくなくうまい、まっすーの優しいけど強い歌声、追って重なっていく小山さんとシゲの歌声が、制御ペンライトの灯りのように東京ドームを満たしていくのを私は眺めていた。

 

前からうまかったけど、コロナ前と今でははっきり変わった、この2年間の様々な変化がまっすーにとても良い影響を与えたことが伺われて嬉しくなる。

人の心に何かを置いていくように歌うまっすーをコヤシゲが優しく囲むような今のNEWSを見てると、20年近く活動して戻るべきところに戻ったというか、変化しつつ最初の原点に戻ったというか、私は後追いファンなので偉そうなこと言えないけど、生きることで人になにかを与えるという、アイドルとしての原点に戻った感じのする今のNEWSだった。

 

ジャニフェス終わって帰ってテレビつけたらまっすーが生放送でゴチしてて、えっさっきまでドームで美声をかき鳴らしていたのに!って、もうそれだけで立派というか尊いというか端的に言って偉すぎる。直前にドームを掌握するまっすーを目撃した私は、まさかここでクビにはならないだろう、だってまっすーだもの。と思いながら見守っていた。

案の定、奇跡的な逆転して名前を呼ばれた時のまっすーの、現状が把握できてない顔。今置かれてる状況が分からない…どういう顔をすればいいか分からないというような、まっすーってそんな顔をするときがある。

そんなまっすーがコヤシゲに挟まれて真ん中に立つ時の安心感。歌でもまっすーを支えるコヤシゲ。あえてこの言葉使います、エモい。

 

NEWSはジャニオタ内での人気度が低い気がしていじめられたらどうしようなんてふざけて言ってたけど、「未来へ」歌い終わった後の拍手は大きくてNEWS担狩りされることも勿論無かった。

 

それでもトロッコにシゲが乗り、目の前にシゲがいるのに全然違うほうを向いているアリーナの観客。自分に背を向ける観客にむかって歌うシゲを見るのは新鮮で。これを発奮と取られるかどうかはシゲ次第だけど、私は見てはいけない場面を見たようなそんな気持ちになった。そんななか、アリーナに発見する「シ」「ゲ」の2枚うちわ。双眼鏡越しにその緑色を見つけた時は(シゲー!シゲのファン!!いるよー!!)と歓喜した。

 

あまりに多くの人数にどこを見ていいかわからなくなり結局自担ロックオン!だった人がほとんどじゃないだろうか。私がシゲをロックオンしてるように、他の誰かをロックオンしてる観客は目の前のシゲに気付かず...そして私も彼女たちが誰を見てるのかは視界にシゲしか入れてないので分からず。一生交わることのない視線の数々がドーム中を駆け巡る。

 

それでも自担が出てない時は俯瞰で眺め「濱田くーん!ファンの人いるよー!」などジャニメンに心のなかで呼び掛け、濱田君とファンの邂逅を見届け勝手に満足するのはジャニフェス2階席ならではの楽しみ方。あえて言うならあそこはタレントにとってもアウェーな会場。好きな人だけに囲まれる単独コンサートを早くさせてあげたいなと思った、それはどのグループに対しても。

 

後半になりKinKi Kidsがゆっくりと登場。「私は今、KinKi Kidsの歌を聴いている」という感慨深い気持ちになる。KinKi Kidsと共に過ごしたわけではないのに90年代の私の記憶が急に蘇る。ここに「あの」キンキがまだいる、2人で歌っているという事実こそが尊い、この特別さは観客のジャニ歴の長短に係わらず伝わる。

KinKi Kidsすっげー働いてんな。という目で90年代後半の彼らを見てた私は、生で目にするあの2人は、果たして幸せなのだろうか。と考えてしまった。それくらい、アイドルという仕事を長期に渡って続けるのは大変そうに見えた。

多忙を極めながら持ち歌でない歌の振り付け、立ち位置を覚え、一体どうなってるの!?とその仕事ぶりに畏れを抱く。

 

キンキの後ろで踊るトラジャを見、ジャニーズJr.というロマンについても考えた。バックダンサーに徹してマイクは持たない自担というのも、なかなかロマンがある。

その感想は先輩(NEWSから見て先輩というとキンキしか該当しない!)のバックで増田さんが、少年のように真面目な顔で踊ってるのを見てしっかり上書きされた。肉体の美しさだけを競う、刹那的な美がバックにはあるのかもしれないなどと思う。

 

ジャニフェスが、シゲに傾倒し過ぎの私のリスクマネジメントの一環として新しく推しを作るきっかけに果たしてなったのか、ということを私の友人が知りたがっていた。

NEWSと関ジャニのコンサートの経験しかないので目が泳いだ。ジェシーくんは立っているだけでカッコいいし、山田涼介くんは尋常じゃないくらい瞳がキラキラしてたし、神宮寺くんは爽やかだったし、高橋海人くんは美形に磨きがかかっていたし、中島裕翔くんは噂通りの美しさだったし、目黒くんはテレビで見るよりかっこよかったし、ああ、ついに顔面国宝佐藤勝利君の顔を拝められると思ったのに小顔が過ぎて顔がしっかり見れなかったのが悔やむ、、、

その、キンキの後ろで踊るトラジャの中で、だるんだるんに開いた襟元の子がいて、そのだるだる具合に目が奪われた。キンキが何かを言ったときに、そのだるだるの黒髪の子がTシャツの裾をめくって自らのお腹を見せていた。あざと~いって感じだったんだけど、なにかロマンを感じた。これ、もしかして名前を知らないっていうところがポイントなんじゃないだろうかと思う。始まりはいつも名前を知らない状態だから。

ひとまず、新しい推しはできなかったけど、こうして人は推しを見つけるのね~という疑似体験はできた。

 

東京ドームから出てくるときの風圧は半端なかった。

綺麗にイルミネーションされた夜の街で、ジャニフェスの最後に歌われた曲、サビしか歌えないのにそのサビをずっと口ずさみながら、来年はキャーと声を出せるようになってるといいなと思った。そして帰ってテレビをつけたらまっすーが(中略)尊い

 

そんな感じです。

ジャニフェスに行かなかった人に、少しでも雰囲気が伝わればいいのですが。

今年一年ありがとうございました。

来年も健やかな年になりますように。