愛とはなにか、答えではなく、その問いが人生なのである

朝起きても勿論まだみんなシゲ部の話してて、もうだめだこれは。この気持ちを吐き出さないと今日は始まらないと思ってブログ開きました。

サクサクとタスクを進めたいタイプなので、自分の感情にも深く悩まず、ペタッとラベル貼って「済」のチェックマーク付けて、さ次!って感じで自分のなかに感情を留めたくないタイプなんですけど。(感情をずっと持ってると気持ちが澱んでくるような、これも一種の強迫観念のような気がする)

 

元々このブログはじめたのも、突然アイドル好きになっちゃって、アイドルのことで頭いっぱいになって他の事考える隙間なくなってヤバ!ってなったので外付けHDDとしてはじめたんだった。今日も外付けHDD大活躍。

しかしこの、感情にラベルを付けて「済」にするのはなかなか難しいぞ。

 

愛とは、、、

いやもう50も近くなって「愛とは、、、」なんて考える機会を与えてくれただけで有り難うございます。以上。なんですけど。

人ってそんなに抽象的なこと考えて生きてないらしい。

シゲと出会ってなかったら「愛とは、、」なんて考える中年女性ではなかった。

愛とは、、、、愛とはなんでしょうね。

今、本棚にエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を探したんだけど見つからなかった。そういうところだぞ。

代わりに、尾崎豊を特集してる雑誌*1のなかで、他の尾崎の愛読書と共に『愛するということ』が取り上げられているのを見つけたので紹介します。

 

『愛するということ』

冒頭で「たいていの人は愛の問題を、愛するという問題、愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題として捉えている」と指摘。恋に落ちる状態、自己愛、信じること、愛と性の関係、宗教との関わりを論じる。

10代の頃から、葛藤や飢餓感を瑞々しい言葉で表現していた尾崎。

当時、愛を論理的に分析したエーリッヒ・フロム『愛するということ』を熟読していたことも興味深い。

 

愛とはなにかと考えるのに書物を参考にするのが賢い感じ出てて良いですね。

シゲも、小説を書いてるうちに愛というテーマを探したり、どんどん「愛ってなんなんだろうな」って思うようになってこの本を読み始めたと、言ってます。

小説以前に、愛に対する繊細さは「みんなから愛されること」「人気者でいること」の環境に身を置くことで培われたことは想像に難くなく。

楽しそうだなと思った入ったジャニーズで、自分が好きになれなくて、逆に自分がかっこ悪いことしてるんじゃないかなと思ってた若い頃、自分にキャーキャー言ってる人を好きになれない、なんでこんなやつのこと好きなわけ?まで思ってたシゲ。

本を書くことで乗り越えたのと同時にファンからの「愛」を受け取ることもできるようになったんですね。そして「愛されるより愛したい」の境地に。

 

私より前にシゲのファンになった友人ではけっこういます、そのシゲの”生意気だし尖ってるしひにくれてる”ところが目について、好きになったって人。挙動不審な子がいるなー。キョドってる。誰だ。が始まりの人。

わたし、申し訳ないけど、その頃のシゲを見ると「このころのシゲなら好きになってないかも」って思っちゃうので、シゲ担先輩たちの深い愛にはもうほんとに脱帽・尊敬・憧憬、なのです。

いや、わからないな。あの時点(シゲ尖り期)では私とジャニーズの接点なさすぎたので、もし出会ってたら好きになってたかも。if..... 20年前からシゲの事好きでいたかったな。

昨日のシゲ部終わって1時間後のシゲの刻では「シゲの愛はファンに向けられたものだけど私に向けられたものではない」ような気がしてきて、これってなんだろうと考えたけど、多分、”私が彼を一番分かってる”とは絶対ならない寂しさというか。みんなのことひとりひとり愛してるよ、と、その「みんな」でいることの諦念というか、突き詰めるとヤバいやつ!蓋しとこ!ってなりました。

特別でいたいっていっても、中で買って最前!ファンサ!とかそういう資本主義的に徹底してドライなやつじゃなくて、もっと、もわーんとしたウェットで情念な、、、まぁいいや、蓋。

 

家族の前では、”シゲのこと好きだけど、そういう好きじゃなくて、才能に惚れててシゲとNEWSの活動をまるっと応援してるの”っていう体を取ってる私ですが。

でもシゲも私のこと愛してるって言ってたし、、

って言ったらどんな目で見られるか考えるだけで震えます。

「恋愛感情なんて手前の手前」って言ってたシゲの言葉を借りてみよう。

 

シゲと私はコンサートでしか会う(←もうこのへんで「会う?見るじゃなく会う?」って言われそう)ことないし、言葉交わすこともないけど、一部で繋がってるの。生きるってそういうことなの。愛というのは恋愛感情だけでもないし、家族や友人の間だけにあるものじゃないんだよ。

 

私からシゲへの愛は理解されても、シゲから私への愛は到底理解される気がしない。

いや、良いんですけどね!理解されなくても。

でも、アイドルとかなんでもいいけど、そういう愛する対象が無い人に揶揄されるのは嫌だなー(これは昨今の事務所を取り巻く状況も含め)

 

#木曜日は本曜日、著名人が影響を与えられた本について語るyoutubeシリーズ、この時のシゲがほんと好きで。好きポイント無数なんだけど

 

歌やお芝居で「愛」って入ってくる、そのたびに
愛ってこの世界に溢れてるけど、まだ全然足りてねぇじゃん

 

私ジャニーズの面々がラブソングで「愛」を歌う時、ご自分たちは男女交際さえおおっぴらにできないのにどういう気持ちでこれ歌ってるんだろうと思ってしまうけど、シゲのこの「愛足りてねぇじゃん」の定義が海のように広くて、惚れ直し不可避。

愛、愛、って言ってるけど、世界は愛足りてねぇじゃん。

それは、8月6日の広島での放送に抜擢され続けますわ。

 

前置き無しで書き始めてたけど、これ昨日のシゲ部でソロ曲『人情心中』に衝撃を受けたことに起因する文章です。いまさら言う。

 

僕の考えるNEWS20周年の合言葉は「心中」。物騒なイメージではなく、もともとは「しんちゅう」まことの心、忠誠を誓うみたいなところがはじまり。

 

ほうほう。

 

男女の誓いみたいなこと。心の真ん中。そのちょっと行き過ぎるところも含めて、僕と、ファン。

 

行き過ぎるウケる。

 

僕自身もファンのため、ファンのためっていうか、ファンという、みなさんという一人の人を愛するように、この20年活動してきたんじゃないかなっていう気がして

 

なんですって!

 

20年一緒に寄り添ってきてくれた方に対する宣誓

 

ひぃー

 

まぁこんな感じで。NEWS20周年の僕的な合言葉は「心中」、もう出だしから普通じゃない、やっぱ作家って普通の人が成れるものじゃない。「20周年から韻踏んで心中」で、くすっと笑い、そのあとの「僕とファンが重なるようにしんちゅうしてきた」「20重なり、心中、そのフレーズがずっとあった」に仰天というか、そんなことを!というか、なんというか。大丈夫なのかそんなふうでとも思うし、そんなファンばかりではないぞともおもうし、もっとドライにしてくれたらじゃあこっちも美味しいところだけ頂きますね~っていれるのにもうこれは、、、これは、、、

で!ここまで聴くと、「どんなラブソングなのかしら~」ってなるところが、

 

『人情心中』、落語歌詞のメタルロック

 

もぉ~そういうところが大好きなんだよ~!

20年一緒に寄り添ってきてくれた方に対する宣誓が落語歌詞のメタルロックなところが!

 

11時だ。もっと書きたいこといっぱいあったんだけど時間が、、、月曜日の午前中からこれ書いてるわたしのやられ度伝わりますよね。

 

結局、この世に答えなんて無いんです。

問い続けていくことが人生なのだから

 

問いつづけ、人と向き合い続けた結果が、今のNEWSなのですから。

 

人と向き合う時にちゃんと向き合う。

グループでやってきてるから。グループって、人と向き合うこと。人と向き合うときに、愛っているんです。

知らないよって言ってしまったらそれまで。お互いに向き合う。理解できなくても対話したい。

 

明日はフラゲ日です!

人と向き合い続けた先にNEWSが見たもの。

昨夜のシゲ部でシゲが「今までのアルバムで一番好きかもしれない」って言ってたアルバム。楽しみでワクワクして愛に満ちててどうしようもない!

幸せ!平和!愛!

 

さ、ラベル貼り終わった!仕事しよ!

って書き終わった瞬間に仕事の電話かかってきてびっくりしたー

 

人情心中以外のシゲの発言はこちらからとりました

youtu.be

 

2023.8.9 Release!

www.youtube.com

*1:pen 2019年 No.275 「尾崎豊、アイラブユー」