静岡公演の感想。ネタバレ無し。
コンサートの内容に触れない感想何度もよく書くよ暇か。と自分でも思うけど、物体のないものに名前をつける作業が昔から好きだったから、いかにもシゲ担になるべくしてなったとしか。ふんす!
友人の同行者が事情で行けなくなり、急遽私が代打で行くことになったエコパアリーナ。帰りのことも深く考えず、電車・新幹線・電車にのって初めての駅に降りた。遥かに見える山の上の建築物。とんでもないところに来てしまった。先週も同じように思ったのにまた今週も、なぜわたしはこんなところにやってきたんだろう。福井以上に土の香り、突然のエスカレーター、夫に「多分終電間に合わないと思う。間に合わなかったらどっか泊まる。」とメール。
山の上の広場には人がたくさんいて、よくまぁみんな来るよ、と自分を完全に棚に上げて思う。私のこのモチベーションはどこから来てるんだろうか。アイドルのそばに行けばいくほどなにかを得られると思うほど私は純粋ではないのに。福井での開始前の場内アナウンスで「うちわによる応援は胸の高さより上げませんようお願いいたします。」とあった時に、(応援、、、わたしは応援に来ているのか。そうか。)とハッとした。
我欲を満たすために来てるんだと思ってたけどこれは「応援」なのかと、確かに「欲」と一言でまとめるには謎の心境がコンサートには渦巻いている。コンサートチケット代と交通費のバランス(例:コンサートチケット代0.9万に対し、交通費3.0万)おかしいし。友人がそのバランスの悪さを嘆いたところ、後輩のジャニオタに「オタクしてるのにコスパ意識するんですか?!」と叱られたそう。
中途半端なコスパ意識のある私は、入口でチケットがピロピロ~と発券されると、まぁアリーナって言っても色々あるしね、とか偉そうなことを言う。今回しみじみ、初心を失ってはいけないなと思った。発券されたチケットの、アリーナの「ア」が見えた時に「キャー!」と叫ぶ気持ちを忘れてはいけない。アリーナ入口に置かれたブロック表を見て「やばやば!」と言いながらアリーナに入ってくる子たちの顔は輝いてた。
このところチケツイを見すぎたせいか、開演直前まで空いてるアリーナの良席をみると「取引中?」と思うし、曲中に2名連れ立って出ていく人を見ると「サイチェン?」と思う。ステージの構成上、そんなに立ち位置変えて見る必要なさそうなのに不思議。狭い座席で隣の人のスペースに浸食しないよう音楽に乗り、インターの時座るのはどうなの?という意見もあるけどアリーナの後ろの人はこの時とMCぐらいじゃないとメインステージ見えないんじゃないかと思い一旦席に座る。それに加えてわたしはなぜかコンサート開始後20分経過した頃になると仕事のことを思い出してしまう。あ、コンサート始まる前にあれ確認しとけばよかったな...とか。そしていやいや!集中して!と自分に訴える。あれはなにか強迫性障害的なものなんだろうか。
そんな感じなので、コンサート終わって即レポをアップできる人が凄すぎてどうやってやってるのか知りたい。メモを取ってるのだろうか。それにしても打つの早い。昨日の夜も、東海道線からこだまに乗り換え、なんとか終電に間に合うと安堵して開くTwitter。至福の時間。私と同じ公演を観た人のMCレポ。すごい。どこでこの文字を打っているのだろう、会場の外で立って打ってるのか?と、レポ主の様子を思い浮かべる。
余談だけど、掛川から在来線乗ったらみんなスマホで昼の部のレポを見ていてちょっとニヤニヤしてしまった。当選確率の低いジャニーズのコンサートでは、行かない人にも情報を共有してくれるレポ文化が盛ん。毎回レポしてくれてありがとうございます!が、なんでこの人毎回入ってるの?全ステ?怪しくない?になる分岐点はどこなんだろう、と他のグループのレポを読みながら思う。レポではないただの個人の感想など、私の日記以上の価値あるのかと自問しながら感想を書いている。
一緒に入るのは初めてのシゲ担友。自作のイラスト入りうちわを作ってくるタイプだと知らず、クールなオタクだと思っていた彼女の可愛い一面を見て、開始前からはしゃいでしまった。わたしのうちわは、「表は遠くから見ても分かるように名前をバーン!裏は接近した時用にメッセージ。これが鉄板。」という有益過ぎる友人の助言を別の友人に伝えて文から作ってもらったもの。オタクのプロの頼りがい半端ない。
帰りのこだまの中で至福の時を過ごしながら、隣の友人を見たら私の呟きを読んで笑っていた。こだま号の窓から衛星インターネットを介し、またこだま号へ。インターネットって不思議だな。
「ねぇ、今の呟きに友だちからのリプついてる!『それが見えたならそれが真実なのです。まじでうちわ見えてる時とそうじゃない時の顔が違うからすぐわかる。』だって!!!」
みんながよく言う”自分のファンを見てこのうえなく優しい顔をするシゲ”を見たかもしれないという、私の呟きへのリプライ。「『分かってしまったら本当に全然違うよね?』だって!」
トロッコのシゲが通り過ぎていったあと、二人で目くばせして「みて、たよね?」と言い合ったけど確信が無かったところに訪れた、インターネットを介しての、”シゲのファンサ”という概念の理解。
それはまるでヘレンケラーが水に触れて「WATER」を理解した時のような。
こだま号のシートで、ファンサー!と感電した。ビリビリビリッ!
※参考:『ガラスの仮面』のシーン
たしかに、分かってしまったら全然違う。あんな顔するんだっていう、知らないシゲの顔だった。うまく例えようとして「孫を見るおじいちゃんのような顔」と言ってしまった。。。でもなにか、「小さきものへの愛」に満ちた優し気な、菩薩のような、顔をしていた。ファンサされた時のことを「世界が止まって、ピンスポットが当たるように私とシゲしかこの世にはいなかった」と言ってた友人がいたけど、トロッコから見下ろされる様子は、まるで「神」だった。見られただけで傷とか早く治りそうな。
確かに感じたのは、「この人、ファンのことを可愛いと思ってるんだな。」ということで、福井の会場で慶ちゃんがラジオに届くメールについて話したときふいに「俺も(ラジオに届くメール)全部読んでるし」とカットインしてきた時の、ちょっと唇尖らせてアピールしてきた顔。
ありがたいとか、感謝してる、とかはよくきくけど、うわ、「可愛いな」って思ってるよ、この人、、と震えが来た。(私の印象なので。シゲ、違ったら教えてください)
シゲーーーとシゲが完全に通り過ぎていくまでシゲのことを目で追っていたので、続いて真上にまっすーが来ていたことに気が付かなかった。3台連なったトロッコの一番後ろのトロッコに立っていたまっすーは、通り過ぎていったあともこちらのブロックのほうを優しい目でずっと見ていて、曲に合わせて、こちらを見たまま、唇にそっと当てた指をゆっくりと空中に動かし、結果、まっすーのキスが空気にはらりと溶けて行った。。。。。。己の目でみた光景が信じられず、自分でも盛ってないか心配になるレベルの破壊力。
トロッコからいつまでもいつまでも、こっちのほうを見ている姿はまるで、ドアが手動で開く昔の列車に乗って別れを惜しむ恋人のようだった。
前髪が伸びて、えげつないビジュに仕上がってる増田さんの、そんな姿。わたしの筆力不足で伝わらないのが口惜しい。
そして慶ちゃんは、わたしの後ろの方のうちわをきゅるんとした目で見て文面を読んでから投げキス。そのうちわを読んでる時の顔が可愛すぎた。シゲとまっすーが、「今はスタンドにファンサする時間だな」と、もうこっち絶対来ないなと悟ることができるのに比べ、慶ちゃんはいつでも、どこからでも撃ってくるスナイパー的な気の抜けなさがある。
ファンがファンサファンサと騒いでるのを知ってか、先日のKラジで「でも、ファンサはおまけでしょ?みんな歌を聴きに来てるんでしょ?」と言った慶ちゃんが非常にカッコよかった。ファンサを誰よりする慶ちゃんからこれが発せられる潔さ。慶ちゃんすまない、曲名を出さないで歌の感想を言うのは難しくて、、、ファンサの話こすりすぎてピアスの穴開きそう(←まっすー的描写 10/10静岡夜MC)
しかしあれを「ファンサ」と名付けたのすごい。「ファンサービス」という名称とはまたちょっと違うなにか。「ファンサ曲」の意味も分からなかったもんな~ はじめは。シゲの「あれ」が「ファンサ!」って理解できた時の衝撃たるや。。。これをきっかけとして初心に帰ろう。
って書いてるうちにKちゃんNEWSはじまってしまった。
MCの途中で「関係ない話なんだけどさぁ、ラッコの話していい。都市伝説なんだけど」と、ラッコが産まれてすぐに、貝を割る石を見つけて生涯大事にする、もしその石を失くしたらラッコは情緒不安定になり、周りのラッコから「やーい石無くしてんの!」といじめられる、石を失くしたラッコは失望のあまり命を落とすこともある。ラッコは海流に流されないように仲間で手を繋いで浮かぶ、でもそのせいでハンターに見つかりやすくて乱獲された。はは。(ここでシゲ苦笑い)
関係ない話なんだけどさぁ、ってシゲに言われてすごい詳しいディテールでソースが確かでない話をされたい。そして話きいてすかさずググって新たな展開を作りたい。
しかし、このラッコの話の仕方と、「ファンサ」してる顔の整合性が取れないようで全て繋がってるからこわい~
コンサート自体について語る前に疲れてしまったのでここでアップしよう。
ツアーも残すは福岡と宮城。オーラスまで無事繋がりますように☆彡