2回で終わらせるはずだったのに、日曜日にフォロワーさんが火曜日のチケットありますと言ってるのを見たら手を挙げずにはいられなかった。ので、続きです。同じ舞台複数回観るのも初めて、当日券電話するのも初めて、譲って下さいと自分から言うのも初めて、私の初めてをことごとく奪っていく男......
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あのね、今回はね、他の人がどんな顔してるんだろうって思って見てたの。奏が一座に逃げ込んで特高の目を欺くためにピエロの仮装で歌を歌う序盤の場面ね。「奏歌えー!」ってピアノを弾く菊谷がどんな顔してるんだろうって。
奏が歌いはじめた時の菊谷は、(おー!)と口をあけて感嘆するような、とてもいい顔してたよ。
それでね、私他の人見てるうちに、佐藤文芸部長の魅力に気付いてしまって。。包容力のあるロマンスグレー、私のリア恋じゃない?2人きりで銀座のバーでしっぽり大人の会話したいじゃない?でね、一座の若い衆がわぁわぁしてる時の佐藤部長はね、ちょっと離れたところで腕組んでうんうんって感じで頷いて優しい笑顔で見守る感じなの。惚れちゃうよね。こういう親戚のおじさんいたなぁって思って。
佐藤部長は、特高に鰻奢って懐柔したり、興行主として酸いも甘いもかみ分けた風なんだけど、菊谷の入隊が決まったときだけ声を荒げるの。「菊谷死ぬな!」って。怒りをみせるの、戦争と体制に。
思ったんだけど、佐藤部長が一番つらいんじゃないかな。自分より若い人が志半ばで戦争にとられて死んでいくのを見るのは、辛すぎるよね。佐藤部長は奏に「アカに戻るな。これ以上お前まで失いたくない」ってお願いするのよ。明治生まれの佐藤部長は、日本がどんどん戦争に突き進んでいくの、どう見えてたんだろう。この話の数年後には東京大空襲だもんね....
戦争ね。
結局戦争は強すぎて、なにも戦争には勝てないのよ。
奏が「結局菊谷さんは何もしてないじゃないですか!なにもしないことが抵抗なんて、それじゃダメなんだ!」って菊谷につかみかかるシーンがあって、菊谷がここでレビューをしてる、劇場のドアを開けている、といってこのレビューがどんな意味があるか語る名場面なんだけど、でも、私は見てて、「でも戦争には勝てなかったじゃん!!泣」って思ったんだよね。どんなに綺麗で楽しくてキラキラしてても、結局それじゃ戦争に勝てないんだよぉぉ!ってさ。
でも、確かに「色を失った世界でいいのか?」と菊谷が奏に問うのをきけば、色が失った世界はヤダ!と思うし、、、、遅いんだよね、もうこの昭和12年でどうしようとしても遅いんだよ、歴史の渦というのは簡単に人を飲み込んでいくんだよ。もがいたところで。それでもそのなかで必死に夢を作ろうとする人間の姿が尊いってことなんだろうけどさぁ、、現代を生きる私からみると、自分の置かれた環境が運命だと受け入れすぎてる気がして、自分をもっと大切にしてほしいって思うの。
昭和12年じゃ遅いんだよ!もっと早くになんとかしなきゃいけなかったの!と歴史を知ってる私は思うけど、自分が置かれている現在もそうなんだよねって思って、じゃあ何ができるんだろうと考えちゃうよね。
原稿を書く手を止めて、「あーーー!自由にやりてぇなぁ!」とおどけて、でも真実ぽく大声で言う菊谷が印象的だったわ。
彼は兵隊に行くこと、想定外だったのかな。一度志願兵をしたことあるなら戦争がどういうものか知ってたはずだから、生き急ぐ気持ちもあったんじゃないかな。書きたい話はいっぱいあっただろうけど時間が足りなくて仕方なかっただろうな。そんな菊谷の気持ちを思うだけで泣けてきちゃうね。かわいそうで。もっと書かせてあげたかったなぁ。
菊谷さんはなにもしてないじゃないか!って奏に刃向かわれた菊谷が「あいつらが気付いてないことがある、『自由』さ!」と言うのだけど、自由か。と思った。体は束縛されても心は自由だ、の意味なのかな?
自由ってなんだろう?って私が思うのは、既に私は自由だからなんだろうね。恵まれた時代と環境に生まれて、自由ということがよく分からないんだと思う、私には。
それでね、菊谷が奏に「俺と戦え!」っていうんだよ、確か。いや、セリフとか記憶からするする抜け出ていくから違ってる可能性高くてごめんなんだけどw
戦えってどういうことなんだろ?って私思ったんだけど、俺の人生を越えて行けってことなのかなぁとなんとなく。検閲に原稿を削られ、徴兵まで。そんなことを越えていけって言いたかったのかな~と。。
でしょ。シゲ見てない時あったの。
私、今シゲ見てませんから!っていう謎のドヤ顔w
でも、しっかり見ましたよ~ ラブストーリーも!
どんな風にあいつら、あ、奏と夢子ね、恋始まったのか見てやろうと思って笑
そしたらさぁ、結構最初から恋始まってんの!笑
もう奏最初の出会いから意識しちゃってんの夢子のこと。
学生さんウブだねぇ~って私の中の鎌倉乙女が煙草片手に言ったわ。
可愛いの、奏が。最初の出会いから夢子にドキマギしてて。
夢子がね、奏の腕にボディタッチするとき、夢子が触った自分の腕を「あ」って顔で一度見るの。そこが可愛い。あとね、出会って間もない時に夢子が奏に抱き付くシーンがあるんだけど、その時の奏、、、シゲの顔がね、いい。いきなり抱き付かれてびっくりしたシゲが上を見上げて「あッ」ってなるの、その「あッ」が色っぽくて。空中に腕を回して(え、これ彼女に腕を回すべき?いや、でも!)って考えたあと、困ったような笑顔で夢子をそっと押し戻すの。もうそれが可愛いったらなくて。キュン。
そんなハグさえまともに受けとめられない奏が、夢子と両想いになったら、すごく自然に彼女と抱擁できるようになってさぁ、、愛おしいよ奏が。
恋仲になった後のふたりは、誰もいないところで「和枝」と「なでさん」って本名で呼び合うの。そのちょっと恥ずかしい感じのあだ名で呼び合うのが、うわ~恋しちゃってますな♡って感じで........。夢子が「なでさん」って一声発した時、観客席も思わずくすくす笑いが漏れてたもんね。なんだよその呼び方wって。シゲのことアキって呼ぶファンの人みたい笑。たまにいるよね。あと、私の友だちのおばあちゃん、吉田和枝って名前なんだって笑。夢子の本名、おばあちゃんと一緒なんですよ~って言われて吹いたw おばあちゃんにも見せてあげたいねーー
夢子といる時のなでさんは、少年みたいで可愛いの。はじめて会ったときからあなたの寝ぐせ気になってたのって言われて、「俺つむじ2つあるんだよ!このへんとこのへん!」って髪の毛かきわけて見せようとするなでさん可愛くって。
この二人でいる時は、恋の一番いいところが漂ってて、思い出してニヤニヤしてる。
夢ちゃんが語る昔のこと、と言ってもガチの真実ではないんだけど、ここに来たきっかけの話を聞く、奏の愛おしそうな顔がね。ふふ、、、って微笑みが漏れちゃう感じなの。可愛いなぁって思ってるのがシゲの顔に浮かんでて。
「夢子が可愛いのは、ほんとに好きなことをしてるからだよ。」
ってそこでも観察者の目線があるのが、奏でありシゲって感じで、そっか私がほんとに好きなことを一生懸命してたらシゲは私のことを可愛いって思ってくれるのかな?と思ってしまったよーーーー
奏は、夢子の一生懸命さに惚れたんだろうね。夢子も菊谷と一緒で今は期間限定だってどこか覚悟があったからこんなに情熱を注げたのかな。歌も踊りもできないけど情熱にかられてレビューの門をたたいた夢子の話に「無謀だね」って片方の口角あげて微笑む奏。無謀だけどやってみる、という強さに人は惹かれて憧れるんだよね。
夢子ちゃんが別れの時まで気丈でさ。強くて。
でも、別れを決めた夢子ちゃんの目の中で、こぼれ出しそうになった瞳いっぱいの涙が照明で光ってるのを2階席で見たわたしは、この舞台を見てはじめて泣きそうになったわ。うん、泣きはしなかったの、だからSTORY横アリで私が号泣をかましたの、ほんとに恐ろしいツアーだよSTORY!てことなんだけど、、
でも私はやっぱり夢子ちゃんにミュージカルの夢をさせたかったよ。
夢子がいなくなったあと、奏は夢子からプレゼントされた銀の櫛で髪の毛をなでつけ、「ずっと一緒だ!」と言ってレビューの幕をあげるの。ここ、とんでもなくカッコいい見せ場。夢にでてくるほどかっこいい。
そして、エフリィの奏は、夢子が果たせなかった想いを背負って舞台に立つの。
奏の、和枝への愛と共に。
奏は舞台でそれを全開にする。だから、観客はまるで自分がエフリィ/奏に愛されてるような気持ちになるの、このラストシーンで。
その夢と愛を受け取った観客席の人たちがいる場所は、昭和のレビュー小屋でもあるし、令和の新国立劇場でもあるんだよ。そして、エンタメに心打たれて、心奪われたまま帰路につくの。お芝居の話だけじゃない、そのお芝居を作る、作ってきた人たちの気持ちも一緒に受け取って。
これね、この舞台、コロナ以前だったらここまで身に沁みないんだと思う。戦争とエンタメって話は。コロナは戦争じゃなくて感染症だから、劇場のドアを開けたままにしておくというテーマがどこまでフィットするかは私には分からないんだけど。
そもそもこの舞台の申し込みを見送った人もいるわけだしね。医療機関で休みもとらず働いてる人たちのことを思うと、そうじゃなくてもコロナのために上京諦めた人とかね、そういう人沢山いるからね。だから、同じ舞台を三度も見てる自分について、うーんと思う部分も確かにあって、でもそこにチケットがあるなら行かないわけにはいかない、観客あってのエンタメだから。今舞台を見れない人の為にも、見れる人は感染対策しっかりしたうえで見て、次に繋いでいくことを私は選ぶって感じなのよ。
できるなら、モダンボーイズ、再演してほしい。それくらい意義も魅力もある舞台だと思う。
夢子が去った後で奏が「ずっと一緒だ!」って言う場面は、その前のまだ夢子がいた時、奏が夢子に「一緒にいこう!俺たちはまだ夢の途中だ!」って語る場面と対比されてるんだけどさ。ここで、奏が「俺たちはまだ夢の途中だ!」と言ったら奏のお腹がぐぅとなって、いけね!腹減った!ビフテキ食べに行こうぜ!って、夢ちゃんと手に手を取り合ってバタバタと舞台袖に走っていくの。この、性急な感じがとても良かったんだよねぇ~。若さ、夢、情熱って感じ。
あの、ご飯しっかり食べてそうなシゲが「腹減った!ステーキくいに行こうぜ!」っていうだけでもう最高に幸せじゃない?好きな人と「お腹すいた~!ご飯たべよ!」って言い合えるって最高だよね。コロナめ!
こないだ私が熱く語っていた、掃除のおばあちゃんおタキさんとエフリィのくだりね。いや、やっぱり「夢????」って思ったわ今回も。だって、エフリィ、、シゲが「恋~はや~さし~ のべ~のはーなよ~ 夏の日のも~とに~」って薔薇を持って歌いだすんだよ、そんなの夢でしょ。夏の日、の歌い方が最高。で、ひざまずいて赤い薔薇をおタキさんに渡したあと、舞台が暗転してもまだしばらく音楽がかかってて暗闇の時間が長いの。この真っ暗な時間が、とても、良い。夢に浸る時間なの。
歌、素晴らしいよ~
歌というのは希望なんだね。
気持ちをのせるものなんだよ。
新国立劇場の2階の暗闇に潜んでる私は、椅子に深く腰掛け、今を忘れるの。
ああ、これが菊谷が言ってたことか、って。
台本下さい!ってなったね笑
台本読ませてくれ!って。
あーーーほんとにほんとに素敵だったなぁ~
あ、奏のお辞儀が良いので見て下さいって言われてそこ注目したんだよ。
お辞儀って東アジアでしかしないらしいね。私、奏のお辞儀は手が膝頭の方に伸びてて、手が体の横じゃないのが可愛いなって思ったんだけど、調べたら手が横なのは後世のビジネスマナーとして定着したから本来のお辞儀じゃないんだって笑
津軽弁でお礼を言ってペコリってお辞儀する奏、可愛かったなぁ~~
序盤ではペコリってお辞儀してた奏が、舞台の最後ほうで菊谷と熱い抱擁をするところも良かった。ガッ!と音がでるような抱擁なの。夢ちゃんと抱き合うときはヒシッ!って音ね笑
それでさ、昨日はシゲじゃなかったの。日に日にシゲじゃなくて奏とエフリィになっていってて。シゲだと思うことはほとんどなかったんだけど、一回だけシゲって思ったところがあって。
革命家の先輩工藤が亡くなった同士たちの名前が書かれた紙を手に、お前はこれでいいのか?こんなくだらないレビューに立ってて何になるんだ、と詰め寄られた時の奏が、ナイフで己の手を切り、血を紙に垂らしながら、「僕はここで世界を変える。奇跡を起こす!」とレビュー人としての誓いを立てるところ、あそこ、シゲだった。シゲに見えた。
そう見えたことに今、感動してる。
あそこにはシゲの魂を感じたんだよ。コンサートや原稿に命削ってるシゲをさー
わたし、彼のこと猛烈に好きだわ。
知ってたか笑
いやもうほんと、長すぎだよね。
どんだけ語るんだっていう。。。。
わたしの魂の一部は、新国立劇場のアイーダのセットの箱の中に収めてきたからさ。
いつでもずっと一緒だよ、、、っていう。
うん、すっかりあの世界にカブレたの。笑
なっがいはなし、最後まできいてくれてありがとう!
ひとまずこれで完結!
ちょっとでも伝わったら嬉しいな!
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昨夜モダンボーイズを観た感想を友だちに語るというていで述べます。【前編】(ネタバレあり) - ゆずこんぶおいしい